リード対決の奥深さ|リミット 9話


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「さぁ、練習を始めるわよ!」

 教員スーツのまま現れた紀香(のりか)監督が手を叩き、一塁側ベンチ前に全選手を集合させた。

 始めに新たなマネージャーとして、要(かなめ)が紹介された。要(かなめ)はペコリと頭を下げ、双子と聞いたメンバーたちは驚いた。

「ショートカットが要(かなめ)です!」と笑顔で言った要(かなめ)に、メンバーと紀香(のりか)監督は笑った。

「はい!じゃ、みんな要(かなめ)をよろしくね。それで、今日は遠矢(とうや)と仟(かしら)の変則試合だったわね。仟(かしら)、先攻後攻は決めたの?」

「まだですが、後攻でお願いします。遠矢(とうや)さん、いいですか?」

「構わないよ」

 遠矢(とうや)の声を聞いた一奥(いちおく)は、勢いよくマウンドへ走り出した。

「よっしゃー!早く始めようぜ!!」

 他の選手もそれぞれの位置へ移動し、一塁側ベンチは紀香(のりか)監督と双子の要(かなめ)・仟(かしら)の3人となった。

 紀香(のりか)監督は、キャッチャー防具を着けて隣に座った仟(かしら)に目を向けた。

「仟(かしら)、どうして後攻を選んだの?」

「深い意味はありません。一奥(いちおく)さんの調子を、一球でも多く見たかっただけです。二人のバッテリーとの経験の差もありますし」


「なるほどね。それでどう?遠矢(とうや)に勝てそうなの?」

「はい!負ける訳には……いきませんから」

 両手を強く握り、真剣な眼差しでグラウンドを見る仟(かしら)。そこから少し離れた先に座る要(かなめ)を、紀香(のりか)監督は覗きこんだ。

「要(かなめ)?あなたはどうなの?」

「この勝負ですかぁ?う~ん……仟(かしら)が勝つって言いたいけど、昨日の勝負から考えていい勝負かなって思います……」
「勝負って!?あなたいつ彼らと勝負をしたの?」


「あ!アハハ……監督ごめんなさい。実は昨日の夜、2対1の一イニング勝負で私が勝っちゃいました。えへへ」

 苦笑いした要(かなめ)だったが、要(かなめ)の笑顔を見た紀香(のりか)監督はニコッと微笑んだ。

「まぁいいわ。その様子なら満足したのね?」

「え?はい!楽しかったです」

 二人の会話を挟まれながら聞いていた仟(かしら)だったが、全く表情を崩すことはなかった。仟(かしら)は、投球練習をする一奥(いちおく)の球に集中していた。

 そんな仟(かしら)を見た紀香(のりか)監督は、(ここまではチームが順調に育っているわね……)と思っていた。

「よし、始めるかぁ遠矢(とうや)!」

「よろしくね~、一奥(いちおく)」

 バッテリーが投球練習を終え、初回で決着するかもしれないワンヒットサドンデスが始まった。

 この試合に限り、一奥(いちおく)がサインに首を横に振る事はない。

 キャッチャーの遠矢(とうや)は、一奥(いちおく)とボールで会話をするかのように、いつも通り一奥(いちおく)を生かしたリードで初回を全て内野ゴロに打ち取った。

「ナイスピッチ!一奥(いちおく)」

「おう!」(っと、つられてベンチに下がるところだった……)

 遠矢(とうや)が一塁ベンチに下がる時、仟(かしら)がすれ違いざまに呟いた。

「この回、私はバットにも触れさせません」

 言い返そうと振り向いた遠矢(とうや)だったが、(お手並み拝見と行きますか!)と、仟(かしら)の背中へ微笑む。そのまま止まることなく一塁ベンチへ戻り、紀香(のりか)監督の隣に座った。

「仟(かしら)、気合い入ってるわよ」

「本当ですね。怖いくらいですよ?監督。あの顔は、完全に勝負師の顔です」


「負けず嫌いなのよ、あの子もね」

「納得です」

 グラウンドを見た遠矢(とうや)は、投球練習の球を受ける仟(かしら)の軽やかな仕草に感心していた。

(テンポよく一奥(いちおく)にボールを返してる。リズムの良さは、投手の好投だけでなく野手の動きにも繋がる……)

 微笑む遠矢(とうや)が見つめる中、投球練習を終えた一奥(いちおく)が仟(かしら)のサインを見た。

(さて、いよいよ仟(かしら)の番だな。一体どんなリードで……)「はぁ?おい仟(かしら)ぁ?」

 一奥(いちおく)は目を疑った。サインを出し終えた仟(かしら)は、何事もなかったかのようにスッと立ち、ミットを構えだした。

 選択肢のないピッチャーの一奥(いちおく)は、そのままサイン通りにボールを外すしかなかった。

(仟(かしら)が無意味な事をするハズはないよな……これは勝負なんだし)

 しかし、一奥(いちおく)の思惑とは反対のリードが続いた。仟(かしら)は二球・三球と外させ、カウントをスリーボールとした。

 一奥(いちおく)が(このまま歩かせるのかな……)と四球目のサインを見ると、(お?外のストレート?)と不思議そうに頷いた。

 その直後、外でストライクを奪った仟(かしら)のリードに、ベンチで座る遠矢(とうや)は再び感心していた。

(ここで打つバッターはゼロじゃない。でも打ち損じた場合、チームのムードは悪くなる。フォアボールを奪えるチャンスを、自ら捨てるようなものだからね。よほど信頼されてるバッターか、もしくはコースが甘い球でない限り、スリーボールから打ちに行く確率は低い……か。それに……)

 遠矢(とうや)は視線を、仟(かしら)から一奥(いちおく)に移した。

(この仟(かしら)のリードは、一奥(いちおく)のコントロールを計算にいれてる……いつの間にそこまで一奥(いちおく)の事を……)

 遠矢(とうや)が再び視線をキャッチャーの仟(かしら)に移すと、仟(かしら)は無言無表情で一奥(いちおく)にボールを返した。捕った一奥(いちおく)は、ニコニコしながらサインを見る。

(次はインコースか?もう一度アウトコースか?ん、同じ球か)

 見逃したバッターに、ベンチの遠矢(とうや)は数回頷いた。

(仟(かしら)は、バッター心理をうまく突いてるね……初回・足の速い一番バッター・ノーアウト・カウントはスリーワンだった。次を見逃してもまだフルカウント。そして投げたのは、外のきわどいストライク。これも手は出せない……)

 遠矢(とうや)の目には、相変わらず無言無表情で当然と言わんばかりの自信を見せている仟(かしら)の姿が映っていた。

 一方、遠矢(とうや)のリードとは違う楽しさに、マウンドの一奥(いちおく)はサインを見ながら微笑んでいた。

(俺ならインコースに行きたいんだけど……ん?アウトコースにボール半分ストライクのストレート?)

 さらに続く仟(かしら)のバッター心理を突くリードに、一奥(いちおく)は驚いた。

(サイン変更はねぇからな……)「いっけぇ!」

 パーン「ストライクバッターアウト」

 球審の声が響く。バッターは手が出ず、キャッチャーの仟(かしら)は当たり前のようにファーストへボールを回した。

 ベンチの遠矢(とうや)は、ボール回しを見ている仟(かしら)に心の中で拍手していた。

(フルカウントになれば、当然だけどバッターはきわどいボールの見極めを要求される。カットする選択はもちろんあるけど、それは高度な技術が必要になる。カットを選んだ場合、当てるだけの打たされたバッティングにもなりかねない。例えファールにできたとしても、それがボール球ならバッテリーは助かったと思う。バッターはしまったと思い、攻撃側ベンチはガッカリするね。でも……見逃せば球審はストライクを取るかもしれない。フォアボールを奪えるかもしれないというスリーボールが、見逃し三振を生む確率を上げてしまうんだ。スリーボール、スリーワンのケースと、フルカウントは全くと言っていい程バッティングが変わる。とはいえ……)

 遠矢(とうや)は、微笑みながら両手を上へ伸ばした。

(仟(かしら)はそれを……当たり前のように完結するとはねぇ……)

 サードからボールを受け取った一奥(いちおく)も、遠矢(とうや)同様「へぇ~」と感心していた。

(仟(かしら)の奴、なかなかえげつないリードするよなぁ。結局スリーボールから、ストライクをボール半分ずつズラしやがった。昨日の挑発といい、あいつはドSじゃないのか?)

 プレートを踏んだ一奥(いちおく)がサインを見ると、一奥(いちおく)はつい笑ってしまった。

(外せって。仟(かしら)、またスリーボールかよ!)

 二番バッターに対し、またも初球を外した仟(かしら)の姿を見たベンチの遠矢(とうや)は、(だよねぇ……)と苦笑いしていた。

(確かに野球というスポーツは、おおよそクリーンアップと呼ばれる三・四・五番にいいバッターが揃う。その中で二番バッターに求められるのは、一番と同じ出塁。仟(かしら)は一番と同じ心理を生かして、また二番もフルカウントにするのか……)

 遠矢(とうや)の思惑通り、カウントはスリーボールとなった。遠矢(とうや)が座ったキャッチャーの仟(かしら)を見ると、ミットは外に構えられていた。

(やはり外……でも、ここではさっきとは少しバッター心理が変わってくる。ここまで仟(かしら)は、一番からストレートしか要求していない。それも、外のストレートのみ。その狙いは、バッターにそろそろインコースか変化球がくるだろうと、勝手にイメージさせる事だね)

 そして再びフルカウントになり、遠矢(とうや)の考察が続く。

(スリーボールから、仟(かしら)は二番バッターにも外のストレートを二球見せた。このイメージとタイミングは、バッターに色濃く残る。もし仮に、次に同じ球を投げれば打たれる可能性は非常に高い。だから次の球は外のストレートの可能性は低くなり、逆にマークはおろそかになる……)

 一奥(いちおく)が振りかぶり、六球目を投げた。

「だりゃー!」

 パーン「ストライクバッターアウト!」

 二番も見逃し三振。またも当然のようにファーストへボール回した仟(かしら)の姿に、同じく遠矢(とうや)も苦笑いをした。

(くる確率が低いと思わせてのアウトコース。結局見逃し三振か。凄いね、このリードは。インコースか?変化球か?ストライクか?ボールか?きわどいならカットか?もしくは見逃すか?……か)

 フルカウントの心理を上手く利用して、仟(かしら)は一度もバットを振らせることなくツーアウトを取った。投げた球はストレート、それも外のみだった。
 結果だけを見ると、ピッチャーの一奥(いちおく)は外のストレートを投げていただけになる。

 しかし、ありもしない幻想をバッターにイメージさせる事により、仟(かしら)はこの結果を生み出した。

 二者連続見逃し三振を当たり前のように振る舞う仟(かしら)の姿に、マウンドの一奥(いちおく)も感心するばかりだった。

(仟(こいつ)、スゲェというか逆にこえぇな。いや、やっぱり仟(かしら)がスゲェんだ!バッター心理をを読みきってなければ、このリードは出来ないぜ!)

 そして、三番キャプテンの神山(かみやま)が左打席に立った。

「仟(かしら)。どうやらお前の口は本物のようだ。こんな恐ろしいリードを平然とやるとはな。それで、俺にも歩かせるフリをしてくれるのか?」

「それはありません。今はツーアウトですから、神山(かみやま)さんはスリーボールからでも打ちます。それでは、レフト前ヒットで私の負け。ですから、カウントは関係ありません」

 真っ直ぐ前を見つめ、仟(かしら)は淡々と話した。その態度にバッターの神山(かみやま)は、「フッ」と笑ってバットを構えた。

「なら、初球から狙わせてもらう!」

 宣言通り、サインを出した仟(かしら)は一奥(いちおく)に外のストレートを投げさせた。

 初球から狙うと言ったバッターの神山(かみやま)だったが、きわどい球を目にしてスイングを止めた。

(低い!ボールだ)

 パーン「ストライク」

「なにっ?球審、今のは低いだろ!」

 振り向いた神山(かみやま)が球審と目が合った瞬間、神山(かみやま)は仟(かしら)の声を耳にした。

「入ってますよ。神山(かみやま)さん、初球から打つというのは嘘だったのですね」

「くっ……」


 その様子を目にしたベンチの遠矢(とうや)は、少し目を細めた。

(今のはボールだった。神山(かみやま)さんの判断は間違ってない。でも球審はストライクと宣言した……)

 すると、驚いた遠矢(とうや)の眉が上がった。

(そうか!これも仟(かしら)の狙いだったんだ。仟(かしら)は球審のクセを探った。審判とはいえ、球審も人だし瞬時の判断を求められる。ピッチャーの一奥(いちおく)は、抜群のコントロールの持ち主。コントロールの悪いピッチャーがストライクをボールと判定されやすいのに対して、一奥(いちおく)の場合は球審の印象が違う。さらに仟(かしら)は、自信満々にストライクだと言い切った。これには審判も、自分の判断は正しかったと安堵する。……全てが一番から続く、仟(かしら)の計算って訳か……)

 一奥(いちおく)が二球目を投げる。同じ外のストレートに、バッターの神山(かみやま)はスイングを止めた。

(やはり低い!)

 パーン「ストライクツー」

「くそっ」

 悔しそうに見逃した神山(かみやま)の姿を見て、視線を逸らした遠矢(とうや)はキャッチャー用ヘルメットをかぶった。

(同じ球は同じ判定になる。冷静さを欠いた神山(かみやま)さんに、もうストライクは必要ない……仟(かしら)の勝ちだ)

 パーン「くっ……」

「ストライクバッターアウト!」

 遠矢(とうや)の読み通り、バッターの神山(かみやま)は外高めのつり球を振らされて空振り三振となった。

 ミットとマスクを手にした遠矢(とうや)は立ち上がり、一塁ベンチへ歩いて戻ってくる仟(かしら)を見た。

(結局仟(かしら)が神山(かみやま)さんに投げたのは、ヒットにしにくいボール球三つだけ。この回、バットに当てさせないどころか、全て外のストレートのみで三者三振か……)

 右を向いた遠矢(とうや)は、紀香(のりか)監督と目が合って微笑んだ。

「監督。次の回ですけど、もし仟(かしら)が怒ったら止めて下さいね?僕に悪気はないので」

「えぇ、わかったわ……」

全球ストレート

 走ってホームへ向かう遠矢(とうや)と、歩く仟(かしら)がすれ違う。紀香(のりか)監督は、苦笑いしながら二人を見ていた。

(仟(かしら)を止めろなんて言ったけど、遠矢(あのこ)笑ってるじゃない。まだまだ余裕って事かしら)「仟(かしら)、ナイスリードだったわよ」

「そうですか?監督。このくらいは普通です」

 厳しい表情を変えないまま、仟(かしら)は紀香(のりか)監督の隣に座った。足を組み直した紀香(のりか)監督は、ホームに座った遠矢(とうや)を見ていた。

(仟(かしら)が怒ったら止めろか……何をする気なのかしら……)

「プレイ!」


 球審の声で、ワンヒットサドンデスの二回表が始まった。グラウンドを見つめる仟(かしら)は、遠矢(とうや)が立ち上がった姿に眉を上げた。

 同じく遠矢(とうや)の姿を目にした紀香(のりか)監督は、仟(かしら)の顔をチラッと横目で見た。  
 仟(かしら)はそれほど表情を崩していなかったが、紀香(のりか)監督は視界に入った要(かなめ)と目が合い、お互いニコッとしてグラウンドに目を戻した。

 すると、初球を外されたバッターの杉浦(すぎうら)が、左手で持ったバットの先をマウンドの一奥(いちおく)へ向けていた。

「ちょっと待て、一奥(いちおく)」

「んぁ?なんだよ杉浦(すぎうら)先輩」

 バットをカランと落とした杉浦(すぎうら)は、怒りをあらわにして正面を向いた。

「俺を警戒するのは当たり前だが、これは勝負だぞ!」

「いや、杉浦(すぎうら)先輩。俺はサイン出してないけど……」


「そうなのかぁ?」

 目を丸くした杉浦(すぎうら)の耳に、遠矢(とうや)の声が入った。

「すみません、杉浦(すぎうら)さん。歩かすつもりはありませんから」

「フン」と不満そうにバットを拾い、杉浦(すぎうら)はキャッチャーの遠矢(とうや)を見た。

「男に二言はないな?遠矢(とうや)。今日こそ俺は、一奥(いちおく)からホームランを打つ!」

 だが、遠矢(とうや)は二球目・三球目も外した。バットを担いで外されるボールを見ている杉浦(すぎうら)に、遠矢(とうや)は微笑んでいた。

(相変わらず頼もしい……でも、空振り三振ですよ?杉浦(すぎうら)さん)

 すると、杉浦(すぎうら)はニヤリと遠矢(とうや)へ向けて笑った。

「勝負はここからだな!」

「はい」

 カウントは、仟(かしら)のリードと同じくスリーボールとなった。そして……。

 パーン「ストライク、バッターアウト」

「コラァ!一奥(いちおく)。インコースで勝負しろ!外3つってなんだ!」

「いや、杉浦(すぎうら)先輩。だからな……」


「くそっ」

 杉浦(すぎうら)はバットをグラウンドに叩きつけ、不機嫌なまま三塁ベンチに下がった。キャッチャーの遠矢(とうや)は、その姿を横目で見ていた。

(ホームランしか狙っていない杉浦(すぎうら)さんは、どうしても体が左に開く。それでは一奥(いちおく)の外は届かない……ってとこですかね)「オッケー、一奥(いちおく)」

「あぁ」(遠矢(とうや)まで仟(かしら)と同じリードってことかよ。あいつの考えもわからないな)

 続く五番はバッテリー対決をしたキャッチャーの村石(むらいし)。

「俺もスリーボールなのか?」

「はい。そのつもりですよ」

 宣言通り、遠矢(とうや)は外してスリーボールとした。杉浦(すぎうら)とは違い、村石(むらいし)は外されるボールを冷静に見ていた。

「遠矢(とうや)、これは仟(かしら)と同じリードのつもりか?」

「さぁ、どうですかね。村石(むらいし)さんとはキャッチャーとしてライバルですから、とりあえず仟(かしら)に勝って差を見せておきたいだけですよ」


「へっ。よく言うぜ」

 本音かどうかわからない遠矢(とうや)の言葉に、バッターの村石(むらいし)は「フッ」と笑ってバットを構えた。

「狙いは三振だな」

「さすが村石さん。でも、キャッチャーですからねぇ……」

 遠矢(とうや)の意味深な言葉に、村石(むらいし)はチラッと遠矢(とうや)を見た。

(普段リードをするキャッチャーの俺だからこそ、その心理はよくわかる。甘いぜ?遠矢(とうや))

 一瞬ニヤッと無意識に笑ったバッター村石(むらいし)の表情を、キャッチャーの遠矢(とうや)は見逃さなかった。

(村石(むらいし)さんが有利に思えるこの状況は、実は全くの逆ですよ?バッターがキャッチャーだからこそ、狙いは読みやすい……)

 スリーボールからの四球目、一奥(いちおく)は外いっぱいのストレートを投げた。そして、村石(むらいし)は手を出さなかった。

 一奥(いちおく)に返球した遠矢(とうや)は下を向いていたが、その口は笑っていた。

(村石(むらいし)さんは、わかっていて見逃した。でもキャッチャーだからこそ、ここで自分ならとリードを考えてしまう。思い通りの球を振らなかったのは、それをヒットにしたくなかったからだ。スリーボールで村石(むらいし)さんが出すサインは、外のストレートということだね。その結果が……)

 五球目のサインを見た一奥(いちおく)が、外のストレートを投げた。

 パーン「ストライクツー。フルカウント」

(こうなる。村石(むらいし)さんは、キャッチャーとして自分の選択するリードの球を打つことはできない。打ってしまえば、自分のリードを否定することになるからね)

 遠矢(とうや)が返球する中、見逃した村石(むらいし)は一息ついた。

「やはり同じ外か」

「わかっていても、嬉しいはずが悔しいですからね」


「まぁな。だがフルカウントだ。遠矢(とうや)、次は関係ねぇぜ!確実に外のストレートを貰う」

「お好きにどうぞ、村石(むらいし)さん」

 六球目に備え、村石(むらいし)が目を閉じる。

(次の球、俺がキャッチャーなら間違いなく外のストレートは投げさせない。だが遠矢(とうや)は外のストレートだ。ここは、張らせてもらう!)

眼光鋭く目を明け、手に力の入る村石(むらいし)の構えに覚悟を感じた遠矢(とうや)は、その狙いに微笑んでいた。

(フルカウントは、お互いが追い込まれている状態。ここでヤマを張るバッターはほぼいない。ヤマが外れたバッター程もろいものはないと、キャッチャーの村石(むらいし)さん自身もよくわかってる。でも、僕のサインは外のストレート……)

 サインに頷いた一奥(いちおく)が、六球目を投げた。

 外のストレートにヤマを張った村石(むらいし)がスイングの体勢に入る。だが、村石(むらいし)のバットは止まった。

 パーン「ストライクバッターアウト!」

 村石(むらいし)は、「くっ」と肩を落とした。その姿に、遠矢(とうや)は同情するかのように頷いた。

(ヤマを張っても開き直れないのが、フルカウントなんですよね)

 返球した遠矢(とうや)は、バットを叩きつけた村石(むらいし)と目が合った。

「くそっ!外のストレートとわかっているのに打てないのか……」

「村石(むらいし)さん、このリードはなかなか厄介ですよ」

 バッターボックスを去る村石(むらいし)の背中を見た遠矢(とうや)は、マスクを外して額の汗をアンダーシャツの袖でぬぐった。

(村石(むらいし)さんがヤマを張りきれなかったのは、キャッチャーだからという理由だけじゃない。仟(かしら)が見せた全球外のストレートが、ここでも布石になってる。僕も疑いますよ。次は変化球、次はコースを変えてくるとね……)

 そして、次のバッターも術中にハマり、同じように見逃し三振となった。

 全てを見ていた仟(かしら)は、ベンチへ戻る遠矢(とうや)を睨みながらホームへ向かった。そのすれ違い様に、仟(かしら)は目を閉じて立ち止まった。

「周りは知りませんが、私は遠矢(とうや)さんに利用されたようですね」

「やっぱり仟(かしら)には見抜かれてたか。その通りだよ」


「では遠矢(とうや)さん、お遊びは終わりにしましょう」

「そっか。僕はもっと遊びたいんだけど、それは残念だね」

 勝負中とは思えない遠矢(とうや)の明るい態度が、仟(かしら)には一奥(いちおく)の振る舞いに見えた。
仟(かしら)は、歯を食い縛った。

「次の回、私は三球で終わらせます!」

 相変わらずの厳しい表情で、仟(かしら)は再びホームへ歩き出した。遠矢(とうや)は、(今度は三球か……)と思いながらベンチに戻ると、紀香(のりか)監督は呆れた顔をしていた。

「遠矢(とうや)。何をするかと思えば、とんでもない事をしたわね」

「そうですか?」

 遠矢(とうや)は微笑みながら、紀香(のりか)監督の隣に座った。

「僕はただ、仟(かしら)の野球を体験したかっただけですよ」

「全く呆れるわ。あっさり言うわね?こっちはハラハラしていたっていうのに。それで、この勝負はいつ終わるの?このままではあなたたち、ヒットを打たれないでしょ?」

「そうですね。なら監督、後ろにいる人に決着をつけてもらうのはどうですか?」

「後ろ?」

 振り向いた紀香(のりか)監督は驚いた。ベンチの隅に座っていたのは、腕組みをしたユニフォーム姿の白城(しらき)だった。