八回の攻防|リミット68話

 西島(さいとう)ナインが守備につき、一番長谷川(はせがわ)から始まる八回表が始まった。スコアは8対5。西島高校3点のリードとはいえ、試合の流れは完全に愛報(あいほう)高校へと傾きつつあった。


 そして、一番の長谷川が打席に立つ。


「今の俺たちは誰にも止められない。お前らを超えさせてもらうぜ」

「望む所です。僕らも愛報高校を超えますよ」


「その台詞、覚えておく」


(長谷川さんには初回にも打たれてる。148……いや、リバース状態で打たれた150のインコースでいく!今の限界はここだ!)


 遠矢(とうや)はサインを出し、一奥(いちおく)は150キロのストレートをインコースへ投げた。


(八回でこのスピードか!だが、コースと球種はわかってんだよ!)


 長谷川が初球から攻めた!


(限界を超えた?)「仟(かしら)ぁ!」


 遠矢は素早くマスクを取って叫ぶ。おもいっきり引っ張った長谷川の打球は、一・二塁間の深い位置を襲った。


(絶対アウトにする!)


 止めてもタイミング的に間に合わないと判断した仟は、打球に対してダイビングではなくスライディングで対応。


 伸ばした左足のつま先でボールを上へ蹴り上げると、しゃがんだ状態からジャンプ。グローブを外した左の素手でボールをキャッチし、そのままファーストの杉浦(すぎうら)へ投げた。


 打った長谷川は、一塁へ懸命のヘッドスライディング。


「セーフ」

「しゃぁ!」


 両手でガッツポーズする長谷川。仟のこの上ない守備だったが、長谷川の執念が勝った。


 内野安打でノーアウト一塁。愛報高校の反撃が、ジワジワと西島高校に襲い始めた。


続く二番長井(ながい)の頭に、送りバントはない。長谷川同様、バッターボックスにただならぬ決意で立った長井の思いは1つだった。


(絶対に逆転する!)


 一奥の投げた球は、インコースのストレート。長井も初球から狙う。


(これが愛報高校の力だ!)


「センター前!」
『しゃぁ!』


 一奥の頭上をライナーで抜けた打球へ、センターの要(かなめ)が頭から飛び込んだ。


「フェア!」


 惜しくもショートバウンドでのキャッチだったが、要はまだ諦めていない。飛び込んだ勢いそのままに、グローブと左手をついてそのまま前方に宙返りした。空中姿勢のまま二塁へ送球。
ショートの神山が懸命に足を伸ばしてキャッチした。


「セーフ」


 またしても長谷川の足が勝ったが、神山は間に合うと判断したファーストへ投げた。


「セーフ!」

『オォォォォォ!』


 今度は、愛報ナインが観衆をうならせた。西島高校のギリギリの守備を、ことごとくセーフにした長谷川と長井。ノーアウト一・二塁を作り上げた。


 そして、三番の長間(ちょうま)を左バッターボックスに迎える。


 キャッチャーの遠矢は、バッターを迎えるごとに大きくなる愛報高校の勝利への執念を感じていた。


(限界が読みきれていない。超のリバースリミットはかかってないのに、各バッターがそれぞれ自ら限界を超えてくる……)


 三番長間がバットを構えた。ここでバッテリーは、初球を変える。一奥と遠矢は、スライダーから入った。だが球種の変化は、今の長間には関係なかった。


(何がなんでも愛理に満塁で繋ぐ!)


 痛烈な当たりが、今度はサード村石(むらいし)を襲う。


(体で止めるしかねぇ!)


 キャッチャーの経験を生かし、村石は打球を体で前に転がそうとした。しかし、バウンドして左肩に当たった打球がショート方向に跳ねる。ショートの神山(かみやま)がキャッチするが、どこにも投げられなかった。


「来たー!」
「ノーアウト満塁!」

『オォォォォォ!』


 球場の雰囲気は一気に愛報高校へ。ここで迎えるは、満塁を含む2ホーマーの愛理(あいり)。

 終盤八回。観客の盛り上がりは、逆転の期待で膨れ上がっていた。


 だが、観客は愛理のリバースリミットを知らない。愛理自身もリバースリミット無しでの打席となったが、繋いでくれた仲間の期待に応えたかった。


(ミスは許されない……私が決める!)


 すると、固い表情で打席に向かった愛理に一塁ベンチからタイムがかかる。球審のその姿に愛理は振り向いた。


(監督が私を呼んでる?)


 愛理は一塁ベンチへ走った。


「監督、私に任せて下さい。必ず逆転します!」

「ダメだ愛理!三振してくるんだ」


「嫌です!どうしてですか!私はこのチームを信頼しています。だからこそ、みんなの期待に応えたいんです!」


 強い口調で監督に言い聞かせる愛理とは違い、監督は言葉に想いをこめるように言った。


「その信頼しているチームが出した答えがこれだ。そのバットは、九回に使えとな」

「九回?私に打席が回るはずは……」
「本当にないのか?」

「ッ出て」


 愛理は目を閉じた。


(ここで私が繋げられる保証はない。でも三振しての九回なら、リバースリミットで打てる。ゲッツーさえなければ……一人出れば私に回る……)

「愛理」

「……わかりました、監督」


「いや、お前はわかっていない」

「え……」


「私がお前に伝えたいのは、その肩の荷を降ろせという事だ。責任感の強いお前は、三年間ずっとチームを影から支えてきた。この試合も大黒柱として一人で支えている。愛報高校は、お前が春に言った台詞を二度と聞きたくないんだ」

「ハッ!」


 愛理は息を飲み、下を向いた。そして、春に名京(めいきょう)高校に負けた時の自分の台詞を思い出す。



‘ ごめん、みんな。私があそこで国井(くにい)君を抑えろなんて言わなければ……負けたのは、私の責任よ’



「愛理、本当の意味で弱味を見せろ。お前が引っ張ってきたチームメイトを頼れ。愛報(ウチ)が今負けているのは、お前がナインではないからだ。8足す1を、9にしてこい」


 下を向いていた愛理は、監督の言葉に微笑んだ。監督の目を見た愛理は、「はい!」と笑顔で返事をして、バッターボックスへ戻った。


 構えた愛理の姿は、一人の野球好きの少女になっていた。そのワクワクするような笑顔を見た各塁のライナー3人は、微笑んでいた。


 この瞬間、キャッチャーの遠矢は静かに肩を落とす。


(やられた……。ここで愛理さんを抑えれば、愛報野球は流れを失いバラバラになっていた。これで本当に、試合はわからなくなったか……)


 そんな遠矢に、愛理は微笑みかける。


「遠矢君、遠慮はいらない。私たちは、私たちの野球で勝つわ」

「そうですね。ここで愛理さんと、勝負したかったんですけどね……」


「そうね。さすがと言わせてもらうわ」


 一奥の投じたストレートを、愛理はバットを肩に置いたまま見送る。


(私はいつから、チーム野球を忘れていたのかな……)


 続く二球目も見送る。


(みんなが私をよく知るように、私もみんなをよく知っている。自分自身って、わかってるようで一番わからないものね……)


 パーン「ストライクバッターアウト」


(ここは任せたわ……)


 愛理は微笑みながらベンチへ下がる。この三振で、愛報高校は一気にチームとしての限界を超えた。愛理自身は気づいていないが、ずっとチームを見てきた監督は気づいていた。


(長い時間を共にした愛理とこのチームにのみ影響する、新たなリバースリミットが今生まれた。これまで一度もなかった満塁での愛理の三振。3人にしか影響しなかった愛理のリバースは、他のメンバーが4人を頼りにしていたからだ。それは愛理も同じ。自分が打てばいいと、メンバーを心から信頼していなかった。だからこそ、その立場が今逆転(リバース)したんだ)


 リバースリミットが無くても、元々愛理は打撃のある選手。自分より実力が上と思う選手が打てない場合、普通は愕然する。あいつが打てないなら、俺にも無理だと。


 だがこのケースは違った。愛理の覚悟と信頼に、チームの誰もが愛理の為にと一つになった。その五番バッターがくらいついた打球は、まさに執念の一打だった。


 鋭いピッチャー返しが放たれる。一奥はグローブを、「うおっ!」っと左へはじき飛ばされた。そのままセンターへ抜けると思われた打球に、前進守備のショート神山が飛びこむ。ノーバウンドで捕球した神山が各塁を見たが、ライナー全ては戻っていた。


「くそー!」
「惜しい!」
「抜けていれば二塁の長井も帰れたぜ」


 悔しがる台詞とは裏腹に、愛報ベンチの表情は明るかった。それを見ていたベンチの愛理は、微笑んで明るい声を出す。


「いけー!望月!」


 叫んだ愛理に続き、ベンチメンバーたちも勢いに乗る。


「そうだ!まだ満塁だ!」
「お前なら打てるぞ!」
「一気に逆転だー!」


 その声を背中で聞いていた六番の望月(もちづき)は、右バッターボックスに入ると集中した良い表情をしていた。


(俺が決めるっす!)


 そんな望月がバットを構えたその時、監督の隣に座っていた愛理が不思議な事を言い出した。


「監督」

「どうした?愛理」


「大会前の、練習試合での彼の打席を覚えていますか?」

「ん……、確かツーアウト満塁でサードライナーだったな」


「はい。実は望月は、その打席でボールが止まったように見えたと言っていたのです」

「なに?まるでお前らバッテリーの守備と同じじゃないか!」


「そうですね。私はバットがボールを呼び寄せますが、望月のバットはボールが待ってくれるようです。例えるなら、ティーバッティングのよう」


「愛理。それが本当なら……」


 望月が初球を叩く。その快音を聞いた瞬間、監督と愛理の目は空に奪われた。


「こうなるかもしれないと、私は思っていました」


 一奥のインコースのストレートが、レフトスタンドに運ばれる。


『オォォォォォ!』


「よっしゃぁ!」
「逆転だぁ!」
「ナイスバッティング!望月~!」


 一塁ベンチとスタンドの大声援に応えるように、ダイヤモンドを一周する望月が両腕でガッツポーズを決めた。ホームインした3人が待つ中、打った望月がホームインすると同時にポカポカと頭を叩かれる。


「やったぜこのヤロー!」
「ああ!よく打ったぜ!」
「ナイスバッティングだ!」

「いてて、えへへ」


 叩かれながらも、望月は笑っていた。そんな望月や3人の姿に、ベンチの愛理も微笑んだ。


「望月!ナイスバッティング!」


 立ち上がってピースした愛理に、頭を押さえて中腰のままベンチへ下がる望月も「はい!」とピースした。


 スコアは9対8。八回表、愛報高校が逆転。キャッチャーの遠矢は、今の望月のバッティングで確信した。


(条件はわからないけど、望月は一奥のストレートを止めたように見えた。愛理さんはボールを加速させ、望月はボールを止めていたのか……。逆転は痛い。でもこれで加速対策は……)


 この瞬間、遠矢に電流が走る。


(違う!愛理さんの三振で、八回の裏は加速しない!という事は、あのドリルが……止まる?)


 終速を操るリミッターの望月。ドリルによって、その球は初速から全くスピードの落ちない球になっていた。それをさらに風で加速させていたのが、リバースリミッターの愛理。遠矢の推測通り、愛理が三振した事によって加速はなくなった。


(同じ軌道から描かれる枝は二本……あるいは変化球が苦手そうなあの投げ方だと、僅かに曲がって三本……しくじれば、へたれる四本目があるかもしれない)


 七番バッターの打球はサードを強襲。村石は体で止めて前に落とし、ファーストは間に合いチェンジ。遠矢はベンチへ戻る途中、キャプテンの神山に円陣を組むように頼んだ。西島高校が円陣を組む中、遠矢が推測を話し始める。


「この回ですが、ボールの加速はないと思います。望月の終速は落ちないので、ストレートは普通に伸びる感覚ですね。それとボールを止めていたのは愛理さんではなく、ピッチャーの望月だとわかりました。先程のホームランの理由がこれです。もしこの回にバッテリーがドリルで来るなら、その球は同じ軌道からおそらく四本に分かれます。ストレート、止まるストレート、僅かにまがるスライダーです。四つ目があるなら、投げ損ないの抜けたスライダーですね」

「うっし、上出来だ!遠矢」


 先頭の三番白城は、先に円陣から出てバッターボックスへ向かった。中心にいる神山は、遠矢を真剣な顔で見る。


「白城はいいが、具体的にはどうするんだ?」

「まだ策はありません。梯(かけはし)高校の松原のフォークみたいに回転が違えばいいんですけど……今は、狙い球を絞るしかありませんね」


「三振覚悟か……わかった。よし、点差は一点だ!逆転するぞ!」

『おーぅ!』


「西島~fly!」『high!』


 西島メンバーがベンチへ入り、先頭の三番白城が右バッターボックスに立つ。八回の裏、一点を追う西島高校の攻撃が始まった。


「白城君。残念だけど、この回に加速はないわよ?」

「そう言うと思ったぜ。仟が言った消える球を、俺が超えたかったんだけどな。ドリルは隠してたのかよ」


「それは違う。この試合で望月が、自分のリミットを超えたのよ」

「へぇ。それは良い事を聞いた。……なら、俺自身もリミットを超えるまでだ!」


 白城がバットを構えた。


(破のブレイクリミットを超える……か。私のリバースリミットがない今、望月のリミット内で抑えるしかない。ここは……)


 キャッチャーの愛理がサインを出す。頷いたピッチャー望月を見て、白城はすぐに気づいた。


(なに?リードを極めたノーリードキャッチャーが、ここでリードを出すのか……面白れぇ!)


 初球、キャッチャーの愛理はインコースの止まるドリルを要求。白城は対応する。


(止まった?くそ、ただ伸びねぇ方か!)


 白城はハーフスイングを取られると、すぐに愛理を見る。


「普通逆じゃねぇか?インコースのドリルなら伸ばすだろ?」

「そんなルール、あったかしら?」


 微笑む愛理に、白城は「へっ!」とマウンドへ向いた。


「確かにねぇな。アンタがバケモンだって事を、忘れていたぜ」

「そっ……」(白城君に二度目はない。今の球は、次は打たれると思った方がいいわね)


 二球目、愛理は外の止まるドリルを要求。白城は泳がされた。


(くっ……また止まるのかよ!)


 打球はファールとなり、一塁側スタンドへ入った。追い込んだ愛理は、ここまでは予想通りと頷く。


(やはり当ててきた。それなら……)


 三球目、愛理はとんでもないサインを出す。ピッチャーの望月が投げた瞬間、白城は上を見上げた。ボールはバックネットに当たり、ガシャーンと音を立てる。


「なんだよ、女王様。まさか敬遠か?」

「コントロールが未熟なのよ」


「なるほど。歩くのはホームランだけにしてくれよ」

「それは私が一番よくわかってるでしょ」


「そうだったな……」


 しかし四球目、愛理の狙いが明らかになる。


でも(白城君。今のあなたを抑えるにはこれしかない。当てたらごめんなさいね……)


 愛理は止まらないストレートで、インハイのデッドボール付近を要求。ピッチャーの望月が振りかぶり、愛理はチラッと白城を見る。すると、白城はニヤリと微笑んでいた。


「やはり女王様は……」

(なんなの?)


 白城の呟きに愛理は眉をピクリとさせる。望月が投げた瞬間、白城は三塁側へバックステップした。


(しまった!)


 白城に読まれた愛理が焦る。だがボールは、すでに白城の顔へと迫っていた。


「優秀なバッターだぜ!」


 白城はビーンボール気味の球に対してスイングに入る。だが、


(なに!)
(え?)


 今度は白城と愛理が同時に驚く。ボールは右へスライドし、インハイのストライクゾーンへ向かっていた。ピッチャーの望月が、二人の予想を裏切るようにしくじった。とっさにカットしようとする白城も、あまりの予想外にしくじる。


「くそっ」


 フラフラっと一塁方向へ上がったフライを、セカンドの長井が追う。必死に飛びつくが、グローブ一つ分届かなかった。


「フェア」


 一塁塁審がセーフを告げる。その声が響く中、もう一つの予想外が長井の目に映った。ボールを切るように打った白城の打球はワンバウンドし、長井から逃げるように一塁スタンドの方へ転がる。それを見た白城は、一塁を回った。


 カバーしたライトの間口がボールを拾い、二塁へ送球。白城はヘッドスライディング。送球を受けたショートの長谷川が、白城の左腕にタッチした。


「セーフ」

「面白くねぇ……」


 立ち上がってユニフォームを手ではらう白城は不満そうだが、三塁ベンチの遠矢はすぐにネクストバッターズサークルの杉浦の下へ走り出そうとした。だが、前に出された杉浦の手を見て、遠矢の足は止まった。二人は頷き合い、杉浦の狙い球が決まる。


(遠矢、わかっている。……狙い球を絞って打つのは、久しぶりだな)


 杉浦が打席に立った。


(この四番は外に弱い。インコースは必要ないわね)


 キャッチャーの愛理はミスのあるドリルを辞め、リードを終速とコースの攻めに変える。だが、杉浦の構えを見た愛理は不思議そうな顔をした。


(握りが逆?左手がグリップではなくバットの中間を握っている。一見バントの構えにも見えるけど、本当にこのまま打つつもりなの?)


 三塁ベンチの一奥も、杉浦の構えを見て遠矢に話しかけた。


「遠矢、いよいよ薙刀(なぎなた)打法を出すんだな」

「そうだね。終速に差があるなら、杉浦さんはこの方が打てるよ」


「にしても、あれは誰もマネ出来なかったな」

「杉浦さんのパワーがあってこその打法だからね」


 左足を開き、オープンスタンスに構えた杉浦の姿は、まさにバットを薙刀のように構えていた。


(仟と要の構えに比べても、これはあまりにも異質。でも不気味過ぎるのも確か……一球外に外すして動きを見たいわ)


 キャッチャーの愛理は、普通のストレートを外に要求。投じられたその瞬間、あらかじめバントのように前へ出された杉浦のバットが、軸足のはずの右足と共にホームベース方向へ動いた。踏み出した右足と連動するように、バントの構えのまま左へボールをはらうように、杉浦は捉えた。


「むむっ……」


 バットの先であったが、痛烈な打球が一塁ランナーコーチをライナーで襲うファールとなった。三塁ベンチの一奥は、「おっしい!」と両手で頭を抱える。


 杉浦は再び同じ構え。しかし、愛理は弱点に気づいた。


(あの僅かなバット移動のみでこの打球。軽視できないパワーね。望月の球が伸びても止まっても、振り幅の小さいこの構えならタイミングは合わせやすい。そして外に外した球でも届いた。……でも残念ね、これはバントになるわよ)


 愛理は外に同じ球を要求し、杉浦も同じようにファールを打った。


(これで追い込んだ。次のファールで終わりよ)


 愛理の思惑とは裏腹に、杉浦は構えを変えない。三球目、再度外の伸びるストレートが杉浦を襲う。


「ファール」


 杉浦の変化に、さすがの愛理も苦笑いした。


(なるほど。打ちに行く瞬間、左手をグリップの位置まで戻しての左手打ち。ここまでやられたら、インコースで勝負したくなったわ。得意コースで詰まらせる!)


 四球目、愛理が選んだのはドリル回転の伸びるインコースのストレート。外のボールを耐えに耐えた杉浦は、「うらぁ!」という叫び声と共に逆手バントの構えのままボールを捉えた。打球はピッチャー望月の左上をライナーで抜けてセンター前へ。


「ガハハ!見たか!一奥」


 抜けた瞬間、杉浦は三塁ベンチの一奥に大声で笑いながら叫んだ。


「杉浦先輩、ナイスバッティングだぁ!」


 しかし杉浦が二塁を見ると、白城はスタートをきっていなかった。


「こらぁ!白城!」

「やべっ。すんません杉浦さん、当たりが良すぎたんすよー!」


「お?うむ……所詮白城だからな。許すか」


 杉浦のヒットを見たネクストの神山がスッと立ち、ベンチに送りバントのサインを出した。遠矢は頷き、それを見ていた仟は全体にサインを送る。


 そして、左バッターボックスに入った五番神山がバントの構えをした。


(点差は1。送るのはわかるけど、それで勝てると思ってるのかしらね)


 キャッチャーの愛理がバントの構えの神山を見てそう思う中、三塁ベンチでサインを出した仟も疑問を遠矢にぶつけた。


「遠矢さん。送って2点返せたとしても、それで本当に九回を逃げ切れるのでしょうか?」

「無理だと思うよ」


「遠矢さん……またアッサリと」


 すると、遠矢がグラウンドを厳しい目で見た。


「仟、攻めて勝つのさ!」


 遠矢の言葉を聞いた仟は、「そうですね」と2回頷いてグラウンドを見た。そしてキャッチャーの愛理は、神山にバントをやらせようとしていた。


(ワンアウト二・三塁で六・七番。望月なら抑えられる)


 初球。三塁線へ見事な送りバントが決まり、神山は一打逆転のワンアウト二・三塁を作った。迎えるは、六番の村石。バッターボックスへ向かう中、ネクストの七番鶴岡が遠矢と仟の下へ来た。


「遠矢、仟。俺に代打を送ってくれ」


 鶴岡の問いに遠矢が答える。


「どうしてですか?」

「もちろん勝つ為だ!俺は、小山田(おやまだ)を代打に送りたい」


「まっ、待って下さい!鶴岡さん。こんな大事な場面で僕が代打なんて……」


 小山田が謙遜(けんそん)する中、迫る鶴岡が小山田の両肩を正面から両手で強く握った。


「自信を持て!小山田。お前は繋ぐ事に関しては、人一倍の力を発揮する。今のバッテリーは、愛理のリバースリミット内ではない。遠矢(こいつ)はとぼけているが、自分だけの策は持っている。だから遠矢に繋げるんだ」

「え?」


 小山田は遠矢を見た。遠矢は微笑みながら目を閉じて、おでこを人指し指でポリポリかいていた。その姿を見た小山田は、鶴岡に勇気をふりしぼって言う。


「わかりました。やってみます」

「あぁ。任せたぞ、小山田」


 小山田がヘルメットを被る中、同じ2年生の光、影山、杉浦弟が励ました。


「今日の所は、君に譲るよ。」
「…(君ならできる。)」
「だーいじょーぶ!」


「みんな……」


 小山田は「よし!」と気合いを入れて、ネクストバッターズサークルへ向かった。


 一方、バッターの村石は初球こそ外のストレートをファールにしたが、続く外の止まるストレートに全くタイミングが合わずに空振り。カウントは、ツーストライクと追い込まれていた。


(くそっ。なんとか犠牲フライでいいから打ちてぇ……)


 そして三球目をピッチャーの望月が投げた。外を攻められていた村石は、無意識に左足を踏み込んでしまう。


(しまっ……インコースのドリル!)


 村石は必死にくらいつくも、最後は手が出ず見逃し三振に終わった。ベンチへ下がろうと歩き出すと、ネクストの小山田に気がついた。


「小山田?そうか、鶴岡が託したんだな。粘れよ!」

「はい!」


 ツーアウト二・三塁。球審に交代を告げた小山田が打席に立った。


(ここで代打か……。随分小柄な選手ね。バットは一握り短い。大振りしないタイプは、少し厄介ね)


 愛理は代打の小山田を見た後、ネクストの遠矢を横目に見る。


(遠矢君には悪いけど、ここはあなたに回したくないわ。このバッターで終わらせる)


 明らかに緊張しているバッターの小山田に、三塁ランナーの白城が声をかけた。


「小山田~!俺はお前のヘッドスライディングを、全て鮮明に覚えてるからな!」


 小山田は真面目で遠慮しがちな性格。白城の言葉は、チーム1の責任感と繋ぐ意識の強い小山田が魅せる執念の姿を表していた。白城を見た小山田は、無言で頷く。


(ありがとう白城。どんな形でもいいから、遠矢君に回すんだ!)


 初球、愛理はインコースのストレートを要求。終速の落ちない望月の球に、初見の小山田は驚いた。


(凄い……みんな、こんな球と戦っていたんだ……)


 しかしネクストの遠矢は、打てないまでも対応は出来ると確信していた。


(小山田さんの粘りの最大の特徴は、グリップの残し方にある。小山田さんから空振りを取るのは、本当に大変だった。頼みますよ)


 二球目、愛理は外のストレートを選択。


(ドリルは万が一がある。でもここで追い込めれば、しくじったドリルでもバッターに迷いを生める。望月、おもいっきり来なさい!)


 粘る事に集中する小山田は、このストライクを見送ってしまう。


(もうツーナッシングか。けど、ここからが勝負だ!)


 三球目、愛理は外の止まるストレートを要求。しかしバッターの小山田は、ストレートのタイミングでスイングに入ってしまった。


(くっ……これが止まるストレート!)


 小山田はバットを止め、なんとかボールに当てた。


(危なかった……。集中を切らせたら、アッサリ空振りしてしまう。でも、なんとかついていけた!)


 四球目、愛理は同じ止まるストレートを外に要求。小山田は同じようにファールで逃れた。


(マグレではないようね。それなら応えてあげるわ)


 五球目、愛理は外のドリルを要求。しかし、コースを見切った小山田のグリップはギリギリで残った。キャッチャーの愛理が球審にスイングの確認を求めるが、一塁塁審は両腕を横に広げる。


(ストライクなら終わっていた。でもこれで、ドリルも投げさせた!)

(やはりドリルはコントロールに欠けるわね……)


 続く六球目、愛理はもう一度外のドリルを要求。しかし望月は投げ損なう。スライドして明らかなボールとなった。


(私が加速させられない今、ドリルは抜けると危ない。これでカウント的にも、ドリルが使いにくくなったか……)


 カウントはツーツー。愛理が選んだ六球目は、真ん中高めのストレートだった。あらかじめストレートにタイミングを合わせている小山田は、この球を執念でファールにする。これが愛理のリードを僅かに狂わせた。


(ファールが真後ろへ飛んだ。今のは私のミスだわ。まだ心のどこかで、このバッターに対する慢心がある。攻めて打ち取るしかない!)


 七球目、愛理はついにインコースのドリルを要求。だが、そのストレートはインハイに。小山田は歯を食い縛り、デッドボールを取ろうと決めた瞬間だった。


「避けろ!」


 叫んだ遠矢の声が小山田の耳に飛び込む。


 パーン「ボール。フルカウント」


 小山田は体を反らし、間一髪避けた。当たらなかった小山田の姿に、遠矢はフゥ~と息を吐いた。


(遠矢君……まだ名京戦の事を気にして……よし!)


 小山田の集中力が、遠矢の気持ちで高まった。


(これでフルカウントまで来たんだ!絶対に繋ぐ!)


(この粘りは見事と言うしかないわね……決めたわ)


 愛理が選んだのは、ど真ん中のドリル。


(恐らく打球は前に飛ぶ。みんな、頼んだわよ!)


 ピッチャー望月が八球目を投げた。 


(伸びる!くらいつけ!……え!しまっ……)


 小山田は、予測以上の伸びに振り遅れた。


 バッ……「ハッ!」

「ストライク」


 しかし、キャッチャー愛理(あいり)のまさかのミス。閉じたミットに当たり、ボールを後ろへはじいてしまった。


「走れ!小山田(おやまだ)ぁ!」
「愛理!後ろっす!」


 三塁ランナーの白城(しらき)とピッチャーの望月(もちづき)が叫びながらホームへ向かう。キャッチャーの愛理はバックネットへ走り、バッターの小山田は振り逃げで一塁へ走る。


 バックネットへ当たったボールは、運良く愛理の正面へ跳ね返ってきた。


「チッ」


 舌打ちし、タイミング的にホームはアウトと判断した三塁ランナーの白城が急いで三塁へ戻る。それを見たキャッチャーの愛理は、一塁へ送球した。バッター小山田はヘッドスライディング。


「セーフ」

「しゃあ!」(遠矢(とうや)君に繋いだ!)


 大人しい小山田の叫びに、西島ベンチも呼応する。


「ナイスガッツだー!」
「よく走ったぞ!小山田!」
「繋いだ!繋いだぜ!」


 小山田のガッツあふれるプレーに、ネクストの遠矢は奮い立つ。バッターボックスへ向かうと、ホーム付近でカバーに入っていたピッチャーの望月とキャッチャーの愛理が話していた。


「ごめん、望月。捕ったと思ったんだけどね……」

「いいっすよ。点は入らなかったっすから。にしても、さっきの球、変じゃなかったっすか?」


「そう?」


 そう言った愛理が、バッターボックスへと歩いてくる遠矢に気づく。


「ツーアウトよ望月。遠矢君を抑えましょう!」

「え?あ、わかりました」


 望月は、小走りでマウンドへ戻った。場面はツーアウト満塁。八番の遠矢が打席に立った。


(ここは、逆転では足りない。一点でも多く返したい!)


「遠矢君。私の言葉は必要かしら?」

「いりませんよ、愛理さん。真っ向勝負です」


「わかったわ……」

ありえない球

 遠矢がバットを構えた。


(小山田さんの打席は参考になった。止まる球は気合いでカットする。狙いはこの試合を左右する決め球、ドリルだ!)


 サインに頷いたピッチャーの望月が初球を投げる。


(ど真ん中のドリル!)


 だが遠矢はバットを止めた。すると、ど真ん中のドリルはシュートしながら落ちた。その球がインローに決まる。


(ここでしくじったシュートか……)

(今の球。遠矢君は望月がしくじったと思ったはず……)


 そんな愛理は、望月がマウンドへ戻る寸前に耳打ちをしていた。


‘ 初球と二球目だけ、球離れを早くしなさい。勝負は三球目よ’


 その後、望月は頷いてマウンドへ行ったのだった。


 続く二球目。


(またど真ん中のドリル!でも、これも変化する……)


 遠矢の手前でゆっくりスライドしたボールが、今度はアウトローに決まった。


(二球続けてのドリルか。愛理さんには、ありえないがありえる。この場面で一番ありえない球は、白城さんへの勝負球だったインコースのドリル……これしかない)


 三球目、望月が投げたのは遠矢の読み通りインコースだった。


(きた!もらったぁ!)


 遠矢が捉えたと思ったその瞬間だった。その視界からボールが消える。


「ありえない……」

「ストライクバッターアウト!チェンジ」


 あまりの衝撃に、バッターボックスから動けない遠矢。


(最後のドリルが……加速した……)


 その足下へ、キャッチャーの愛理は一塁ベンチへ下がりながらボールを転がした。


(私もリバースリミットを超えていたのね……感謝するわ)