ダブルリミット|リミット66話

 五回裏、ワンアウト満塁。打席に立った白城(しらき)を見たキャッチャーの愛理(あいり)は、ただならぬ威圧感を感じていた。


(前の打席とは、白城君の雰囲気が全く違う……これは一体……?)


 投げようとしないピッチャー望月(もちづき)の姿に違和感を感じた白城は、キャッチャーの愛理を見る。愛理は、鋭い視線で白城を見ていた。


「どうしたんだよ、女王様。早く投げさせろ。俺は言った通り、準備してきたんだぜ」


 白城はニヤリと笑い、バットを構えた。堂々としたその姿に、愛理の表情はさらに厳しくなる。


(違うわ。白城君は何も準備していない。準備したのは、西島(せいとう)高校としか考えられない。でも、根拠がないわ……)


 愛理は沈む心を必死に持ち上げる。態度には出さぬよう、強くミットを構えた。そして初球、望月は120キロ台のストレートを外に投げた。その瞬間、愛理の体に寒気が走る。


「ハッ!」


 ボールは白城のバットを避けるように外へ外れた。驚いた愛理は、力なくボールを山なりに返球する。そしてピッチャーの望月を見ると、ボールを受け取り歯を食い縛った。愛理は直感する。望月の投じたストレートは、外れたのではなく外したのだと。


(打たれる!)


 愛理が球審へ振り向く。


「タイムお願いします……」


 マウンドへ走り出そうとした愛理に、白城が声をかけた。


「無駄だぜ?」


 愛理は立ち止まったが、白城をチラッと見て無言のままマウンドへ行った。


「愛理……」

「何よ?その顔。打たれるとでも思ってるの?」


「ごまかさないで下さい……。あのバッターは、昨日と同じバッターではないっす。愛理も気づいてるからタイムを……」


 望月は悔しそうに下を向いた。その右手は震えるほど強く握られる。だが、そんな望月を見た愛理は笑った。


「フフッ、その負けん気があれば大丈夫よ!」

 
 愛理は左手にはめたミットで、下げられた望月の頭をポンと叩く。頭を上げた望月は、愛理の笑顔を見て微笑んだ。そして愛理は、自分に気合いを入れ直すように表情を変える。望月を見つめながら、勝負球を口にした。


「コースはどこでもいいわ。ストレートでマックスを出すわよ!」

「わかりました!」


「よし!」


 頷いた愛理は、ホームへ戻る間に白城を直視する事はなかった。望月だけではなく、愛理自身も最高の球を投げさせる事に集中する為だった。


(ここは勝負所。全てをぶつけて白城君に勝つ!)


 そんな愛理の気合いの入った顔を見て、白城も集中を高めて構えた。


 二球目、ピッチャーの望月は真ん中に構える愛理のミットめがけて、自信を持って右腕を振り抜く。その瞬間、白城が何かを確信したかのようにフッと笑った。


 愛理のミットがパーンと音を立てる。


(最高の球が外に来た!これなら打たれない自信はある。でも白城君は、余裕で見送った……)


 愛理が望月に返球したその時、白城がピッチャーの望月を見ながら口を開いた。


「不思議なもんだな。昨日と同じピッチャーには見えねぇ」


 愛理は白城を見ながらゆっくりと座る。 


(この独特の感覚……今の球はこちらが追い詰めたはずなのに、どうして逆に追い詰められた気分がぬぐえないの?加速もこの上ないのに……)「ハッ!」(まさか……今の白城君は私たちバッテリーと同じ……)


 キャッチャーの愛理と三塁ベンチの遠矢は、驚きと喜びの対照的な顔で同時に思った。


(ダブルリミット!)


 次の瞬間、望月の投じた三球目は快音を残してセンターへ上がった。一歩も動かないセンターを見た愛理は、呆然とその場に立ちつくした。


(気づくのが遅かった。これは白城君の一打席目から始まっていた……。その為の三番だったんだ……)


『オォォォォ!』


 大歓声の中、白城の打球はバックスクリーンに当たる。愛理がホームベースをボーッと見つめる中、一奥がガッツポーズでホームイン。続いて要、仟とホームを踏んだ。白城は涼しい顔でホームインした。


「これで3本目だぞ!」
「あいつ、マジでサイクルホームランをやるんじゃねぇの?」


 期待と歓喜が入り交じる声援は、立ったまま下を向いて動かない愛理の耳には入らなかった。


(二打席目のホームランで気づけたのに……。あの打ち方は限界を超えていた。白城君は破のブレイクリミッター。そして要と仟。あの二人が、白城君に超のリミッターに似た影響を与えた。だから終速の限界を超えるリミッターの望月と、私とのダブルリミットは超えられたんだわ……)


 愛理は空を見上げた。


(まさか全国クラスの破のリミッターに、超のリミッターが加わるなんて……これで西島は8点……)


 白城の満塁ホームランで、スコアは8対4。愛理は、自分のプランが崩れた事を体で表現するようにガクッとしゃがんだ。そんな愛理に気づく事なく、三塁ベンチでは遠矢と白城がハイタッチをする。


「やりましたね!白城さん」

「あぁ。おかげで最高の気分だったぜ!」


 そう言った白城と仟の目が合う。


「さすがブレイクリミッターです!白城さん、完璧でしたね」


 笑顔で言った仟の目に、苦笑いの白城が映った。仟は首をかしげる。


「うん?白城さん?」

「ん~、まぁいいか……。杉浦(すぎうら)さんの打席を見てからだな」


 白城はベンチに座り、バッターボックスの杉浦を見た。仟は「ふ~ん……」と白城の隣に座り、同じく杉浦を見る。だが遠矢が気になった仟はチラッと遠矢を見たが、遠矢も杉浦を見ていると確認してすぐに視線を戻した。


 その杉浦は、初球を豪快に空振りした。


「むむっ……」


 この時、愛理の思考は絶望で停止していたが、バッテリーのダブルリミットは生きたままだった。杉浦が二度目の空振りで追い込まれる中、遠矢が白城に話し出す。


「リミットはないようですね」

「だな。どうやらカシカナのリミットは、次のバッターまでのようだ」

『えー?』


 二人の会話を耳にした仟と要が、同時に驚いた。


「アハハ。やっぱり二人は気づいてなかったみたいだね?」


 遠矢の問いに、仟が答えた。


「そんなの気づきませんよ!」
「うんうん!」

「だよね。実は僕も気づいてなかったんだけど、気づいたのは白城さんでもなく影山(かげやま)さんなんだよ」


「影山さん?ですか?」


 仟がベンチの影山を見ると、影山は照れながら目を逸らした。そして遠矢が続ける。


「名京(めいきょう)高校戦だよ。あの時影山さんは、スクイズが当たりそうな気がしたんだ。それなら素直にやっていれば良かったなぁって思ったんだけど、僕はそういう話から仟と要のリミットを疑い始めたんだ。もしかしたら……ってね」

「はぁ……そうだったのですか。私と要のリミット……」


「おい仟!リミットが何だと!」

「え?杉浦さん?」


 三振した杉浦がベンチへ戻ると、その部分だけを耳にしたようだ。すると、困った仟に代わって遠矢が杉浦に話す。


「杉浦さん、今の打席で何か変化を感じませんでしたか?」

「変化?キャッチャーはへこんでたぞ?」


 的外れの言葉ではあったが、遠矢はすぐにキャッチャーの愛理を見る。


(ベンチからではわからないか……)


 愛理が気にはなったが、遠矢は話を戻した。


「どうやらですね、カシカナの打席の結果が白城さんには影響したみたいなんですよ」

「なにぃ!」


 怒った杉浦は、白城を睨んだ。


「白城……貴様!3本もズルしたのか!」

「いや!違うっすよ?杉浦さん。カシカナのリミットがもし超のリミットなら、杉浦さんにも影響したんじゃないか?って話っすよ」


 杉浦は、キョトンとした。


「ほぉ!なるほど……」


 しかし、それもつかの間だった。


「三振だったじゃないか!」

「まぁ……そうっすね……」


 白城が苦笑いする中、怒った杉浦が今度はニヤリと白城を睨む。


「代われ……」

「へ?」


「白城、お前に四番は譲ってやる。だから代われ」

「えっ……と、それは無理っすよ」


「ならいい。遠矢!要を二番、仟を三番にしろ!」

「いいですけど、一番はどうします?」

「うむ……」


 杉浦は腕を組んで考え出した。


(一奥は気に入らん。光もウザイな。先頭……先頭?そうか!)「神山だ!」

「俺がなんだ?杉浦」

「おお?」


「チェンジだ、行くぞ」

『オォ!』


 五番の神山も三振だった。白城と遠矢は、杉浦を置いて守備に走る。


「遠矢、一人みたいだな」

「ですね」


「おい!コラー!」


 振り回される杉浦を見て微笑んだ仟は、杉浦の背中をグローブでポンと叩いてセカンドへ向かった。


「杉浦さん。行きますよ!」

「仟……」


「杉浦(すぎ)先輩、メットメット!」

「要……、おお……」


 杉浦がようやく外したヘルメットを片付けていると、今度は一奥が杉浦の肩に手を置いた。


「わかるぜ?杉浦先輩。俺も杉浦先輩も、リミットは持ってねぇからな」

「一奥……お前って奴は……。ふざけるな!笑ってるじゃないか!」


「ひえぇぇぇ」


 一奥はマウンドへ逃げた。


「ちょっと待て!一奥!」


 ファーストへと走った杉浦が投球練習の邪魔をする中、ベンチでずっと会話を聞いていた紀香(のりか)監督は、微笑みながらグラウンドを見ていた。


(全く、たいしたものね。相手が春準優勝の愛報高校だって事、あの子たちは忘れてるのかしら。グラウンドにいないこっちが緊張するわよ)


 紀香監督は、一塁ネクストバッターズサークルの三番長間(ちょうま)・四番愛理を見た。


(この六回、愛理(あのこ)に回るのね……)

愛理の決断

 三番の長間は、表情が暗いままの愛理に一応確認した。


「愛理、俺も三振でいいんだよな?」

「え?あ、ごめん長間。任せるわ」


「そうか……わかった」


 元気のない愛理をチラチラ見ながら、長間は打席に立った。


 六回表、4点差を追う愛報高校の攻撃が始まる。球審のプレイがかかる中、キャッチャーの遠矢は横目でネクストバッターズサークルにしゃがむ愛理を見た。


(とりあえず状況は変えられた。でも、このまま愛理さんが終わるとは思えない。油断は禁物だ)


 初球。インコースのフォークでストライクを取った遠矢は、やはり長間も三振すると確信した。だが、長間は迷っていた。


(このまま行けば八回に愛理の満塁ホームランで追いつけるだろう。しかし、今は同点止まりだ……)


 長間は二球で追い込まれる。


(どうすればいい……打つか?見送るか……)


 その微妙な表情を、キャッチャーの遠矢は見ていた。


(長間さんが迷ってる……)


 遠矢は様子を見る為、一奥にインローのスプリットをボールにするよう要求した。投じられた球を、打席の長間が 歯を食い縛って見つめる。


(打つか……見送るか……くそっ!)


 長間は見逃した。


「ボール」


 その球審の声を聞いた瞬間、全く試合を見ていなかった愛理が顔を上げた。


(ボール?)


 愛理は長間の背中を見た瞬間、長間の意思を理解した。


(そっか……長い付き合いだからね……)


 結局三振を選んだ長間は、バッターボックスへ向かう愛理と微笑み合う。そのまますれ違い、一塁ベンチへ戻った長間は、ベンチへ座るとピッチャーの望月を呼んだ。呼ばれた望月が長間の隣に座る。


「望月。この打席の愛理を、よ~く見ておけ!」

「わかりました!」


 鬼気迫る長間の雰囲気に、長井が声をかける。


「なにこえぇ顔してんだよ?勝負は八回だろ?」


 グラウンドを見つめたまま反応しない長間に、気になった長谷川も声をかける。


「おい長間、聞いてるのか?リバースリミットは八回だろ?」


 それでも答えない長間が唾を飲み込む。すると、一奥の投げた初球のフォークを愛理が捉えた。


『なにっ!』


 驚いた長谷川と長井を後ろに、長間は腕を組んだまま微動だにしなかった。愛理の打球は二人の意思に反して、ライトスタンドへと消えていった。