お礼と証明書|リミット59話

「次、白城(しらき)!オッケー。次、要(かなめ)」


 紀香(のりか)監督ノックを眺め、フェンス際をランニングしている一奥(いちおく)がレフトの白城(しらき)に話しかけた。


「なぁ白城。な~んか監督、急にグラウンドへ出てくるようになったな」

「そうか、お前知らねぇんだったな」


「へ?」

「姉貴はな、カシカナの公式戦出場の為に動いていたらしいぞ。俺たちが名京(めいきょう)高校へ川石(かわいし)高校戦を見に行っただろ?あの時に待たされたのも、それだったらしい」


「そうなのか。監督すげぇなぁ」


 すると、棒立ちする二人にホームから紀香監督が叫ぶ。


「コラー!一奥。走りなさーい!」

「やっべぇ」


 すると、紀香(のりか)監督は一奥めがけてノックのボールを打った。


「げっ!」


 一奥にボールが当たる寸前、センターの要がキャッチした。


「ほぉ~あぶねぇ。サンキュー要」

「ラクラク!」


「にしても、あの監督ノックだけはマジで上手くなったよな!」

「一奥ん、西島(にしじま)の血は凄いのだ」


「アハハ!だよな!」


 そしてノックが終わり、西島メンバーが一塁ベンチに集まる。紀香監督を中心に円陣を組んだ。


「明日は三回戦ね。相手は第二シードの愛報(あいほう)高校よ!」


 紀香監督の気合いの入った声が、グラウンドに響く。が、言葉はそこで止まった。


「監督?」


 キャプテンの神山(かみやま)が言葉を挟むと、紀香監督は「……後は任せたわ」と言って神山と交代した。その苦笑いに、一奥がツッコむ。


「なんだよ?監督。今の間は!」

「うるさいわね!あーしろこーしろって監督らしく言おうと思ったけど、何も出てこなかったのよ!」


 すると、笑ったキャプテンの神山も特になかった。


「えーとだな、今日はこれで終わりにするが……どうせお前らは今から遊ぶんだろ?怪我だけはするなよ!」

『はい!』


「さすがキャプテン!じゃあ~かいさーん」


 紀香監督は、上機嫌で帰って行った。主なメンバーも明日に備えて帰ったが、時間はまだ午前中。

 遠矢(とうや)は白城に聞いた。


「監督、今からデートですかね?」

「知らねぇよ。ただ、カシカナ問題が解決してからは、家でもあんな調子だけどな」


「監督がスカウトしたカシカナでしたからねぇ。プレッシャーからの解放ってとこですか。最初から計画してたんですねぇ」

「まぁ、そうだろうな」


 二人が話していると、一奥がバットを持つ杉浦(すぎうら)に絡まれていた。


「今日も二回戦だ!一奥」

「え~今日もかよ。昨日もさんざん打ったじゃねーか」


「なにぃ?文句があるのか?」

「あ、いえ。なんでもないです……。だぁ、くそ!やってやらぁ!杉浦先輩、かかってこい!」


 一奥はマウンドへ走り、杉浦は打席に立った。


「ガハハ!一奥、さぁこい!」

(にろぉ。悔しいから、杉浦先輩を空振り祭りにしてやろうかな……)


「なにぃ?」

「え?杉浦先輩、読心術出来るのか?」


「お前は顔に出るんだ」

「おぉ……なるほど」


 仕方なく一奥は、杉浦に気持ちよく打たせた。


「ガハハ!またいったぜ!」

「いよっ!ナイスバッティング。明日も頼むぜ!」


 遠矢がグラウンドの二人を見ていると、隣にいた白城が帰り支度を始めた。


「あれ?白城さん帰るんですか?」

「あぁ。ゲーセンの店長に呼ばれてんだよ。暇なら遊びに来てくれってさ」


「さすが、伝説のゲーマーですね……」
「うおぉ!」


 突然、打球音と共にボールが一塁ベンチへ飛び込んできた。幸い誰にも当たらなかったが、驚いて声を上げた白城がキレた。


「杉浦さん、あぶねぇだろ!どこ打ってんだよ!」

「は?なんだ?白城」
「ん?」


 杉浦の打球はレフトフェンスを越えていた。一奥も、白城の態度にポカーンとする。


 その時だった。


「私よ私!ちょっと豪速球過ぎたかしら?」


 グラウンドにいる皆の視線が、声のしたバックネット裏の階段に集まる。その声を聞いた仟と要は、すぐに誰か気づいた。


「愛理さん……」


 仟が一塁ベンチ前で呟く。愛報高校の蝶蜂愛理(ちょうばちあいり)は、3人の仲間を連れてバックネット裏へ降りてきた。


 仟と要は、すぐにグラウンド側からバックネットへ近づく。


「お久しぶりです、愛理さん」

「久しぶりね、仟。二回戦スタンドで見たわよ。要の構えも直ったようね」

「えへへ、はい」


 要は、ペコリと頭を下げた。すると、頭にきていた白城がバックネットに向かってきた。


「おい!あぶねぇじゃねぇかよ!」

「あら?あのボールは、そこに落ちてた西島(おたく)のボールよ?拾ってあげたのに随分な態度ね?怒るなら、ろくに片付けない1年生を怒ったらどう?」


「面白れぇ。なら拾ってくれたお礼に、グラウンドへ入れてやるぜ。来いよ!どうせそのつもりなんだろ?」

「話はわかるのね。お招き感謝するわ」


 愛理と3人は、ニヤつきながら一塁ベンチへ入ってきた。

 ついていくように一塁ベンチへ戻った仟と要は、立ったまま愛理を見ている。


 白のワンピースにハイヒール姿の愛理が右手で長い髪を後ろにはらう仕草は、正に女王の風格だった。


「仟、要。まずはお礼を言うわ。おかげで明日の試合、私は出場が決まったわ」


 仟と要は黙ったまま、愛理の目を見ながらコクッと頷いた。


「今日は、そのお礼に来たって訳。ついでにプレゼントも持ってね」


 そう言いながら、愛理はニコやかに3人と順番に目を合わせた。


 仟と要は、その3人もよく知っている。それは、シニア時代の二年先輩だったからだ。


 長谷川(はせがわ)、長井(ながい)、長間(ちょうま)の3人も、仟と要に声をかける。まず話したのは、長谷川だった。


「仟、お前らの代のエースが愛報(ウチ)にいるのは知ってるよな?」

「はい。でも望月(もちづき)君は、ベンチ外ですよね?」


 仟の問いに、長井が答える。


「愛理がベンチに入るんだぜ?その意味がわかるだろ?」

「ハッ!」


 仟は思い出した。仟と要のシニアの同級生である望月は、愛理とプレーする時に限りリミットの影響を受けていた。


「明日、望月君はベンチ入りするのですか?」


 答えたのは長間だった。


「ハハッ。その方が面白いだろ?」


 仟の表情が曇る。すると、気づいた遠矢が口を挟んだ。


「あのー。その望月君は、今日はいないんですか?」


 答えたのは愛理だった。


「あなたは何?レギュラーなの?」

「僕は、二回戦には出てませんけど……」


「補欠君ね。なら黙ってなさい」

「わかりました」


 要は遠矢の言葉にクスクス笑っていたが、愛理と目が合うとピッと真っ直ぐに立った。


「愛理!置いてかないでくださいよ~!」


 また、バックネット裏から声が聞こえる。


「トイレに寄ったあなたが悪いんでしょ?」

「まぁ。そういう事にしておきますか」


 望月は階段を降りると、笑顔で一塁ベンチへ入ってきた。


「どうも~!はじめまして、望月です。愛理がお邪魔してます」

「ん?」


 頭を下げた望月に、違和感を持った白城が問いかけた。


「望月君だっけ?お前、愛理って人は先輩だろ?何で呼び捨てなんだよ」

「それは……」


 顔を赤くした望月が愛理を横目で見ながら話そうとしたその時、杉浦を空振り地獄にしてへこませた一奥が、嬉しそうに一塁ベンチへきた。


「なぁ!俺もまぜろよ!」

「一奥、お前は空気を読め」


「へ?なんでだ?白城」

「なんでもねぇよ……」


 すると、愛理は恥ずかしそうに横を向きながらボソッと言った。


「彼……よ」

「なに?」


 白城は聞き逃した。


「あなた!呼び捨てなんて、そんな事は試合に関係ないでしょ!」

「そりゃそうだ。で?仟と要だけじゃなくて、俺たちにも礼をくれるんだろ?女王様」


「じょ……女王?私が?」

「あれ?違うのか?」


 白城が要を探すと、要は杉浦の打ったボールを拾いにレフトへ走って逃げていた。


(なんだよ……内輪話だったのか)「ま、何でもいいか。お前らの土産を早くくれよ」


 すると、愛理は白城を見てフフッと笑った。


「二回戦、サヨナラを含む3ホーマーの西島白城。そうね……ならあなたに、それを超える4ホーマーをあげてもいいわよ?」

「それはスゲェ。さすが女王様だな?礼が派手だぜ」


「そう?この程度なら安いわよ?試合は8対4で終わるんだから」

「へぇ~。それはまるで、あんたが2本の満塁ホームランを打つって言ってるようなもんだぜ?」


「あら?私のリミットを知ってるじゃない。でも、私は打つと断言したんだけど。そうね、今からこのグラウンドで、その証明書をプレゼントするわ。どう?白城君」

「是非そうしてもらいたいな。ついでにその証明書に、俺のサイクルホームランも記載させてくれよ」


 白城の言葉を聞いた3人は、怒りをあらわにした。だが愛理は、右腕をサッと横に伸ばして制した。


「8対10って計算ね……。いいわよ!今からお互いの証明書を作りましょう。白城君、道具を借りるわよ?」

「好きにしな。おい補欠君、手配してやってくれ」

「わかりました」


 白城は遠矢に愛報メンバーを任せると、スマホを取り出してゲーセンの店長に用事ができたとメールをした。


「これでよし。で、女王様。どうやって書くんだ?」

「エースを出してくれればいいわ。私のリミットは、仟に聞いたでしょ?その通りに進むだけよ」


 愛理は仟を指差し、遠矢の用意したヘルメットを被ってバッターボックスへ向かった。


「すみません!」

「何よ?補欠君」


「僕はまだ1年なので、予習のつもりでキャッチャーをやらせて頂いても構いませんか?」

「好きにすればいいわ」


「あ!それとエースは帰ったので、一奥(こいつ)が代わりでもいいですか?」

「注文が多いわね……早くしてくれる?誰でも一緒よ」


「ありがとうございます」


 遠矢が防具を着けていると、一奥が遠矢の横に来た。


「遠矢、あの人リミッターなんだろ?どうするんだ?」

「勉強するだけだよ!一奥」


「なんだよそれ?ま~た打たれるのか……」


 遠矢の準備が整った。


「よし、じゃあ行こうか!一奥」

「おう!」


 一奥がマウンドへ行き、遠矢もホームへ座った。投球練習の最中、愛理は一奥の球を見ずに空を見上げていた。


「う~ん、普通にやっても面白くないわね……。仟!ペンと紙はある?」

「はい、あります」


「ウフフッ……」


 愛理はバットをその場にドンと立たせ、一塁ベンチへ下がった。そして書いたメモを仟に渡し、再びバッターボックスへ向かった。


 打席に入った愛理が、この勝負のルールを説明する。


「見ての通り、野手はバッテリーだけ。ホームランは文句ないでしょうけど、ヒットかどうかはバッテリーが決めていいわ。それと、私たちに何を投げても構わない。ここまではいい?」


 一奥は「いいぜ!」と言い、遠矢も頷いた。


「仟に渡した紙だけど、そこには私が予想した一球ごとの球種が書いてあるわ。補欠君、この意味がわかるかしら?」

「はい。僕のリード通りの球が来た場合、高確率でヒットになります」


「その通り。だから、私たちのヒットに偶然はない。そしてここからが肝心。そのメモと球種が一致しない場合、バットは出さないわ。追い込まれていたとしても、球種が違うならカットもしない。見逃すわ」


 すると、遠矢の目が鋭くなる。


(つまり、予告スイングがない試合なら、いつどんな球でも打つ自信がある!という訳か……)


 遠矢はニコッと笑った。


「さすが名門愛報高校、勉強になります。わかりました」


 愛理はベンチにいる仟と白城に、常にメモをチェックするように言う。二人の右側に座る愛報高校の4人は、余裕の表情でグラウンドを見ていた。

 勝負開始。


 キャッチャーの遠矢は、バッター愛理のリミットを知っている。ど真ん中のストレートを三球要求し、愛理は見逃し三振に終わる。


「仟に聞いた素振りはなかったけど、あなたも私のリミットを知っていたのね?」

「はい。見習いは大変なんですよ」


 愛理は、フフッと笑いながら一塁ベンチへ下がった。そしてバッターは長谷川に代わる。


 仟を真ん中に、要と白城が左右に座る後ろに愛理は立った。


「白城君、そのメモ面白いでしょ?」

「あぁ。特に次の女王様の初球がな」


「まぁ、これは遊びよ。明日の試合で、意味のない事はしてほしくないだけよ」

「そのようだな……」


 この時、仟は内心驚いていた。仟が考えていた作戦が、このメモで封じられていたからだった。


(シニア時代の愛理さんの弱点が……無くなってる……)


 メモを手に固まる仟の姿に、愛理が声をかける。


「どうしたの?仟。黙っちゃって。まさか私が、名門校でマネージャーでもしてたと思ってたの?」

「はい……正直そう思っていましたが、このメモを見て愛理さんの三年間の努力が見えました」


「それは嬉しい言葉ね。じゃあ白城君。証明書の作成を始めましょうか」

「あぁ。面白くなりそうだ」


 白城は一塁ベンチを見ていたキャッチャーの遠矢に、ゴーサインを出した。


(本気で抑えろ!か……もちろんですよ、白城さん)


 遠矢はミットをパンと叩いた。


 蝶蜂愛理というリミッター抜きで、春の県大会準優勝の結果を残した愛報高校。それは、左バッターボックスに立つ長谷川の実力を表していた。


「長谷川だ。キャッチャー、よろしくな」

「はい、お願いします」


 初球。遠矢が一奥に要求したのは、150キロの外のストレートだった。しかし、一奥のクロスファイヤーは難なく三遊間へ打たれた。


「キャッチャー。シングルヒットでいいよな?」

「はい、見事です」


 長谷川は一塁ベンチへ下がり、続く長井がバッターボックスへ向かう。遠矢は、長谷川と長井を見ながら考えていた。


(今のは長谷川さんの限界の球だった。やはりもう、愛理さんの超のリミットは始まってるんだ)


 そして、長井が右打席に立つ。


「長井だ!あのピッチャー、なかなか面白い球投げるじゃねーか」

「ありがとうございます」


「これなら、明日のエースが楽しみだな!」

「そうですね……」


 遠矢は初球、スローカーブを要求した。バッターの長井は、あっさり見送った。


「ストライクだ」

「はい」(メモがなければ打たれていた。さすが10割のリミッター。まだ限界が計れない……)


 二球目、遠矢はまたもスローカーブを要求。


「これでツーストライクだ」

「はい」(振らない……今のはメモの裏をかいたのかな……?)


 遠矢が苦戦する一方、一塁ベンチでは愛理が笑顔で呟いた。


「次が決着ね」


 答えたのは、メモを知る白城だった。


「おいおい。初球、二球目と白紙にしといてよく言うぜ。ここで変化球なら、一度もバットを振らずに見逃し三振なんだろ?」

「そうよ。でも……それはボールになる……」


 三球目。遠矢が選んだのは、外の高めに外すストレートだった。


「うおっ!」


 打球は、驚いた一奥の横をあっという間に抜けていった。


「キャッチャー、センター前でいいな?」

「さすがですね……」


 二連打。バッテリーは、愛理のリミットから抜け出せなかった。しかも、メモ通りに遠矢の球種も読まれている。遠矢はマスクを外し、悔しそうに足下を右足でならした。


(カーブの軌道を利用して、梯(かけはし)高校を欺いた伸びないストレートだったんだけど……。一球でタイミングが合わされるとはね……)


 そして、長井とすれ違った長間が打席に立つ。


「俺も一応名乗るか。長間だ。本気でかかって来いよ」

「もちろんです」(さて、どうする……)


 キャッチャーの遠矢が考える中、一塁ベンチでは愛理と白城が会話を進めていた。


「チッ……」

「白城君、楽しんでもらえてないのかしら?」


「なんだよこれ。次のバッターも、球種通りなら振るんじゃないのか?」

「サービスよ。振ったらヒットになっちゃうじゃない」


「じゃなんだ?この初球からの三球のうち、どれでもいいって事か?」

「そうよ」


「あり得ねぇだろ。遠矢がメモ通り、三球とも選ぶとは思えないぜ?」


 すると、白城の横に座る仟が
呟いた。


「白城さん、愛理さんはキャッチャーなのです……」

「なにっ?」

「フフッ!」


 愛理は楽しそうに笑うと、話を続けた。


「リードなんて偉そうに言ってるけど、ピッチャーがその通りに投げてこそのリードでしょ?そんなピッチャーは存在しない。ミスは必ずあるわ。だから私は、あの補欠君にオーソドックスの限界を教えてあげてるのよ。読まれた時点で打たれるようなリードなら、最初から真ん中に構えていた方がマシよ。だからそのメモ通りになるし、長間には打ってもいいと書いたのよ」


 それを聞いた白城はムカついた。


「お前、完全にハイってんな?」

「ハイってる?なによそれ?」


「調子に乗ってるって意味だ!野球の歴史をナメんなよ」


 その瞬間、愛理の顔から笑顔が消えた。


「なら私は、その野球の歴史を凌駕するわ……」


 白城は一瞬、愛理の迫力に気負った。だがすぐに言い返す。


「俺も早く、アンタを凌駕して証明書が書きたくなって来たぜ」

「そう?書けるといいわね?」


「お前もな。それとな、今あのバッターは追い込まれたぜ?ここで遠矢が裏をかけば、お前の証明書は白紙だ!」

「フフッ、面白いわね。まぁ見ていなさい」


 そんな一塁ベンチが見つめる中、遠矢は次のボールを考えていた。


(今度は外したストレートを見逃された。三球目のメモはストレートじゃない。カウントはワンツー。後二球、フルカウントまでストライクはいらない……)


 遠矢は追い込んだこのカウントなら、ボール球で十分と判断した。それはストライクが真ん中に近いほどヒットになるという、野球の常識そのものだった。


 しかし五球目を投げ終え、追い込まれたのはバッテリーだった。


(これも振らない……。それならこの二球は裏をかいた?いや!違う。ボールと読まれていた可能性が高い。……まさか、初めから一度もバットを振らずにフルカウントになる予測をされたのか?)


 遠矢がなかなか返球しない姿を見た一塁ベンチの愛理は、野球のセオリーを思い出していた。


(あなたは間違っていないわ。スコアリングポジションにランナーを置いたキャッチャーが、より厳しいコースを要求するのは当たり前。カウントが有利なうちは、ストライクを要求しないのも常識。だから結果はこうなる。満塁での押し出しは、こうして生まれるわ……。そしてこのフルカウントで選ばれるのは……)


 ストレートを引っ張った左バッター長間の打球は、一・二塁間を破った。


「ま、こうなるわな。キャッチャー、頑張って愛理を抑えろよ」

「はい……」(やられた。やっぱりメモは五球見逃しだったんだ。そして六球目のストレートを狙われた。ストライクの、ストレートを……)


 遠矢は、新しいボールをマウンドの一奥に持って行った。


「ごめん、一奥。完全にやられたよ」

「まぁいいさ。それでなんだっけ?この条件の女王様は、満塁ホームラン率10割だっけ?」


「そうだね。どうする?」

「う~ん、ただ打たれてもつまんないよなぁ……。なら遠矢、女王様を歩かしてみるか?怒ってバットを投げてくるかな?」


「どうかな?球種がメモと合ってるなら、愛理さんは振ってくるかもしれないよ?」

「面白れぇ。なら見せてもらおうぜ!150キロの敬遠だ」


「アハハ!それは面白いね。そんなに速い敬遠は、見たことがないよ」

「だろー?打ったら俺が、女王様に野球バカの証明書を書いてやる」


「オッケー、それで行こう!本当にバットが飛んできたら、ちゃんと避けてよ」

「キャッチして投げ返してやるさ」


 遠矢は笑顔でホームへ戻った。


「私のリミットを破る作戦は決まったかしら?」

「そうですね。下がりながら勝負しますよ」


「へぇ~。それを聞いて安心したわ。白城君に暴言を吐いたし、後であなたにも謝らなくちゃいけないかしら?」

「いえいえ。通じない事がわかったので、もう何もいりませんよ」


「そう……それは残念ねぇ……」


 愛理が構える。その気迫に、一塁ベンチの白城は唾を飲み込んだ。


 一奥が投げた瞬間、愛理と遠矢が右へ飛ぶ。その時遠矢は、視界から消えない愛理に驚いた。


(まさか!ここまでメモで読んでいたなんて……でも!まだ手はある!)


 投げ終えたマウンドの一奥も、遠矢と同じ思いでいた。


(本当にきやがった!だが女王様!これは普通の敬遠じゃないぜ!)


 カキーン!

「なっ!」


 驚いた一奥はすぐにライトへ上がった打球を見る。遠矢は、愛理が着地した足下を見ていた。


(右上ギリギリ……反則打球じゃない)


 そして遠矢が打球を見ると、ライトフェンスを越える寸前だった。


 愛理が打った瞬間立ち上がった白城と仟に、長谷川と長井が交互に言う。


「蝶のように舞い……」
「蜂のように刺した……さすが愛理だな」


 悔しがった白城は、メモを見直す。そこには、初球敬遠のストレートと書かれていた。二球目以降の記述はない。


 白城は、メモを丸めて「くそっ!」とベンチへ叩きつけた。


 証明書を書き終えた愛理が、遠矢と話しながら一塁ベンチへ歩きだす。


「正捕手の遠矢君、楽しかったかしら?」

「え?アハハ……バレてましたか……」


 すると、そこに一奥が笑顔で来た。


「女王様、マジですごかったぜ!そんなヒラヒラな格好で打たれるとは思わなかったわ」


 愛理は、へこむどころか嬉しそうな二人に違和感を持った。


「ねぇ、あなたたちは負けたのよ?それが敗者の姿なの?」

「まだ負けてねぇじゃん。試合は明日だろ?」


 さらっと言った一奥に、愛理は拍子抜けした。


「フフッ、それもそうね。じゃあ、攻守交代よ。次は白城君が、証明書をくれるそうだから」


 それに遠矢が応じる。


「愛理さん、勝負の方法はどうします?白城さんはサイクルホームランですよね?」

「簡単な話よ。白城君が私たちからホームランを打てなければ、サイクルも何もない。そうよね?白城君?」


 一塁ベンチ前に着いた愛理の前に、準備万端の白城が立っていた。


「あぁ、それでいいぜ!」


「エースの間口はいないから、ピッチャーは望月でいいかしら?」

「女王様が証明してくれるなら、誰でもいいぜ」


「もちろんよ。何も問題はないわ」


 すると、望月は長谷川とキャッチボールを始めた。


「キャッチャーミットを借りるわね?」と遠矢に言った愛理に、一奥は今更ながらに聞いた。


「女王様、その格好でキャッチャーもやるのか?」

「何か問題ある?」


 すると愛理は、マスクどころか防具も着けずにホームへ歩きだした。キャッチャーミット一つを持ってホームへ歩く愛理に一奥が叫ぼうとした瞬間、白城が一奥を左手で止めた。


「ん?なんだよ、白城……」

「なぁ女王様よぉ、それは俺のバットにカスらせるつもりもないって事でいいんだよな?」


 立ち止まった愛理は、振り向く事なく白城の言葉に答えた。


「三回素振りして終わりよ……」

「バカにするな!」


 飛び出そうとした白城の右手を、仟が掴んだ。


「白城さん、落ち着いて下さい。愛理さんは本気です。理由もあります」

「理由だと?」


「はい。ピッチャーの望月君はリミッターです」

「なんだよ、面白れぇじゃねーか。で、その望月はどんなリミッターなんだ?」


「それは……ボールが来ないのです」

「なに?ってことは、遅すぎるって事か?」


「いえ。ボールは速いです」

「おい仟……、説明になってねぇぞ」


「すみません、でも本当にそうなのです。そして今は二人のリミッターの力が影響します。愛理さんは超のリミッターですから、白城さんとの勝負がリミットを発動した今なのだと思います」

「そうか、先に証明書を俺に書かせなかった理由がこれか。女王様に守備のリミットもあるとはな」


「はい」


 白城は右バッターボックスに立った。そして、マウンドの望月にバットを向けて宣言した。


「お前の球は遅いらしいな。初球からそのリミットで来い!」

「ええ、そのつもりですよ」


 ワンピースにハイヒール、そして防具もなければマスクもしない。ミットのみ着けたキャッチャーの愛理は、ど真ん中を構えた。


「白城君、これがリードを凌駕する球よ」

「そう言うと思ったぜ。来いや!」


「じゃ、行きますよ」


 ピッチャーの望月が振りかぶる。これと言って特徴のない右のオーバースローから投げられたストレートは、タイミングを合わせたはずの白城のバットより遥かに速く愛理のミットに収まった。


「空振り、1つ目ね」

「うるせぇ!くそっ……」


 白城は、たった一球でこのボールのとんでもなさに気づいた。


(今のは一体なんだったんだ……。来ねぇと思ったボールが、まるでミットに吸い寄せられたようだった……。これは球が手元で伸びるなんてレベルじゃねぇ。加速してるぞ!)


「白城君?次行くわよ」

「あぁ……」


 二球目も、白城は豪快に空振りする。


「空振り2つ目。次で終わりね」


 一塁ベンチの遠矢にも、何が起こっているのかわからなかった。


「あの白城さんが普通のストレートを二度も空振り……。しかも、かなり振り遅れてる。仟、あのストレートの秘密は知らないの?」

「私も注意して見るのは初めてです。ただ、望月君のストレートは140キロ程だと思いますが……」


「140か。確かにそうは見えるね……」


 そして、望月が三球目を投じた。白城は必死に食らいつく。


(くっそぉ!はえぇ!)

 パーン……

「お疲れさま……」


 空振り三振した白城をバッターボックスに残し、キャッチャーの愛理は涼しげに一塁ベンチへ歩きだした。


「ちょっと待て!」

「お?」


 一塁ベンチで一奥が反応したのは、杉浦の声だった。その声を聞いたキャッチャーの愛理は、立ち止まって真っ直ぐ一塁ベンチの杉浦を見る。


「打つなら早くきなさい。四番のプライドに応えてあげるわ」

「当たり前だ!白城のような小物と一緒にするな!」


「おい!杉浦先輩。止めとけよ、無理だって!」

「どけ!一奥」


 杉浦は、一奥の制止をはねのけた。


「おぉ……」


 すると、遠矢が一塁ベンチ前で倒れた一奥の隣に立つ。


「一奥、止めなくて良かったよ。あと三球も、望月君の球が見れるからね」


「遠矢……。だけどやっぱり後三球か?なんとなく止めはしたけどさ、やるからには杉浦先輩のパワーに期待したいんだけどな」

「本番は明日だよ、一奥」


 杉浦がバッターボックスにつく。


「どけ!白城。俺の番だ」

「へいへい、どきますけど杉浦さん。迷わず160キロのタイミングで振らないと、当たらないっすよ?」


「フン。俺には普通のストレートに見えたぞ?空振りするお前がマヌケだ」


 すると、キャッチャーの愛理が答える。


「そうよ白城君。この四番の言う通り、普通のストレートよ?」

「なに?ふざけんな!そんなはずはねぇ!」


「そう言われても、事実だから仕方ないのよね……わかったわ、証明してあげる。仟!スピードガンはある?」

「はい!あります」


 仟がバックネット裏でスピードガンを構える。その準備を確認し、再び愛理が杉浦に話し始めた。


「今から、130キロのストレートを投げるわよ?四番さん、いいかしら?」

「俺は何キロでも構わないぞ。きた球を打つだけだ!」


「なら、さっさと始めましょう。白城君の証明書は白紙になった訳だし。もうここに用はないわ」


 愛理の言った通り、杉浦も三球空振りに終わった。そして、仟が構えていたスピードガンの表示は、三球とも130キロだった。


 それを聞いた杉浦が「くそー!」とバットを地面に叩きつける。愛理は一塁ベンチ前に立つ遠矢の下へ行き、「いいミットね」と、笑顔でキャッチャーミットを返した。


 そして愛理は、ベンチに面白くなさそうに座る白城に話しかけた。


「白城君。サイクルホームランの証明書は残念だったわね。でもいいわ、4ホーマーなら打たせてあげるから」

「うるせぇ」


 白城は、望月の球を思い出すようにグラウンドを無言で見つめ続けていた。反応のない白城の姿にフフッと微笑んだ愛理と愛報高校の3人は、バックネット裏の階段から去っていく。


 後からついて行った望月は、バックネット裏のベンチに座る仟に笑顔で話しかけた。


「仟、愛理はあれでも喜んでるんだよ。俺も君らに感謝してるから、明日の試合楽しみにしてるよ」

「望月君……わかりました」


 仟が望月に頭を下げると、階段上から「置いていくわよ!」と愛理が望月に叫んだ。


「えぇ~!待って下さいよぉ!」


 階段をダッシュで登る望月は、仟に「じゃあな!」と右手を振りながら帰った。

二つのリミット

 仟が望月を見届けた後、一塁ベンチへ戻るとすぐに白城が声をかけた。


「仟。杉浦さんへのボールは、本当に130キロだったのか?」

「はい」


 白城は、「マジかよ……」と言いながらベンチに寝そべった。そして遠矢が杉浦に感想を聞く。


「杉浦さん、実際の打席ではどうでした?」

「速かったな」


「ん?」


 ベンチにドカッと座った杉浦は、それ以上言わなかった。


「杉浦さん?」

「なんだ?遠矢。速かったと言っただろ」


「それだけ……ですか?」

「他にあるか!……後は白城に聞け」


 杉浦が腕を組みながら目を閉じて難しい顔をしていると、一奥が隣に座った。


「なぁ杉浦先輩。明日はアレを打たないと勝てないんだぜ?もっと教えてくれよ」

「一奥、スピードに関係なく振り遅れるんだぞ?白城が160キロのタイミングで振れと言ったが、130キロをそのタイミングで振れるか!」


「なるほどな……確かにそうだ」


 杉浦と一奥の会話を聞いていたメンバーたちも、望月と愛理のリミット攻略をそれぞれが黙って考えていた。


 しばらくして、白城が起き上がる。


「ダメだわかんねぇ。なんで遅いと思ってタイミングを合わせると、あの球は加速すんだよ……。そうだ遠矢。1つわかった事がある」


 皆が白城を見る。白城は、遠矢に話した。


「愛理に打たれなきゃいいんだろ?明日は一奥にバックネットに投げさせて歩かせろ」

「いいですけど、その時は満塁ですよね?」


 そして、遠矢の言葉に一奥が続く。 


「白城。俺にワイルドピッチの大会新記録を作らせる気かよ」

「ならどうするんだ?女王様に満塁ホームランを打たれれば、望月からあのヤバイ球が来るんだぞ?仟は何か策はないのか?」


 白城にふられた仟は、手を口に当てて下を向いた。


「先攻で初回から点を取れるだけ取るのと、愛理さんが三振した回からの2イニングしか、チャンスはありませんね……」


 仟が話し終えると、皆は再び「う~ん……」と考えて始めた。



結局具体策は見つからないまま、明日の愛報高校戦を迎える事になった。