波乱の初回とゲームアーティスト |リミット 5話

遠矢(とうや)が描いたシナリオは、ブルペンで話した時からすでに始まっていた。一奥(いちおく)は、村石(むらいし)のサインの合間にチラッと遠矢(とうや)を見ていた。


(村石(むらいし)先輩のリードは遊べないな。強き過ぎて読まれやすい。打たれれば俺のせいだし、遠矢(とうや)のサインがなければ…。)


ズバーン!「ストライク、バッターアウト。」

「ふう…。」(こりゃ、合わせるのも大変だわ…。)


抑えた結果に、キャッチャーの村石(むらいし)はご満悦だった。


(どうだ、一奥(いちおく)。完璧なリードだぜ。)「ナイスだ!」 シュッ


パシッ「どうも…。」

「なにぃ?」

「ああ、ナイスリードですよ、村石(むらいし)先輩。」


このやり取りを見ていた一塁ベンチに座る紀香(のりか)監督は、違和感を覚えていた。


(さっそく始めたようね。一奥(いちおく)の不満顔が物語ってるわ。どうやら抑えてるのは村石(むらいし)君のリードより一奥(いちおく)のおかげって感じね。)


その後もリードは村石(むらいし)。裏リードは遠矢(とうや)というサインでのピッチングは続いた。


(村石(むらいし)先輩。すげぇリードだな。またインローのストレートかよ!そりゃ打たれるぜ!)


ズバーン!「ストライク、バッターアウト!チェンジ。」


「くそっ。俺のヒットが無駄に…。」


四番の杉浦(すぎうら)には、つまりながらレフト前を打たれたが、一奥(いちおく)はその後をなんとか抑えた。

その結果、ベンチへと下がる村石(むらいし)は上機嫌だった。


「杉浦(すぎうら)のヒットは仕方ない。気にするな。」

「そうですかぁ?」


「不満か。お前はそういう奴だからな。ハハッ。」


笑う村石(むらいし)を見て、一奥(いちおく)は苦笑いをしていた。


(俺が杉浦(すぎうら)先輩に負けて当然みたいになってるし…。次の回、俺がキャッチャーやりたい気分…。)


ズバーン!

ベンチに戻った一奥(いちおく)の耳に、心地いいミット音が飛び込んできた。


「お?」(鶴岡(つるおか)先輩、なかなかいい音させてるな。そういえば、鶴岡(つるおか)先輩の投球を見るのは初めてだったな。)


口を丸くした一奥(いちおく)の顔を見た隣の村石(むらいし)は、ニヤついていた。


「どうだ?一奥(いちおく)。肘の治った鶴岡(つるおか)のストレートは速いぜ!140は出るからな。」


ベンチ前で自慢気に言う村石(むらいし)の横で、一奥(いちおく)は鶴岡(つるおか)の投球を食い入るように見ていた。


「確かに速いけど…村石(むらいし)先輩、10点は取れそうだな。」

「はぁ?」

GOサインがもたらした変化

(キャッチャーが村石(むらいし)先輩なら…だけどね)

「なんだ?その顔は!」

 村石(むらいし)が横目で睨むと、一奥(いちおく)は手を振ってごまかした。


「ささ、村石(むらいし)先輩。負けてるんだから取り返そうぜ」

「はぁ?10点取れるんだろ?だったらお前が返せ」


「いや、先輩。俺の打順ラストだし」

「よっしゃー!お前ら出ろよー。反撃するぞ!」

(村石先輩、逃げたな……)

 気合いの入る村石(むらいし)とは逆に、攻撃はあっさり3人で終わってしまった。

「鶴岡(つるおか)の奴、かなり飛ばしてるな。一奥(いちおく)、こっちも飛ばして行くぞ!」

「えぇ?村石(むらいし)先輩のリードでフォローしてよ。だってこれ、勝負だぜ?」


「そうだったな。任せておけ」

(大丈夫じゃないだろうな……)

 それでも一奥(いちおく)は、ランナーを出しながらもゼロに抑えていった。

 一方、鶴岡(つるおか)は五回までノーヒットを続けていた。ベンチに座っていた村石(むらいし)は、一奥(いちおく)に不満をぶつけた。


「一奥(いちおく)!10点どころかノーヒットじゃないか!どうなってんだよ」

「いや、だから村石(むらいし)先輩。勝負なんだから、ここは鶴岡(つるおか)先輩のピッチングを誉めようぜ」


「おぉ……そうだな」

「あのさ、言わなかったけど、村石(むらいし)先輩的には、俺が打たれた方がいいんじゃないの?」


「ん?そんなの当たり前だろ?このまま試合が終われば、鶴岡(つるおか)の方がお前より上に……待て。このままじゃ俺は、遠矢(とうや)に負けた事になるじゃないか!」

「アハハ、だな」


「一奥(いちおく)、その反応軽すぎだろ!」

「そうかな?だったら俺、本気で投げるけど?」


「なにっ?」

 チェンジになり、一奥(いちおく)はマウンドへ走り出した。

「さてと……」

「待て!お前、本気じゃなかったのかよ!」

(まぁ、ある意味ね……)


「おい、一奥(いちおく)!聞いてるのか!」

 呼び止めた村石(むらいし)に対して、一奥(いちおく)はニコッと意味深な顔をしてマウンドに立った。

 すぐに気づいたのは紀香(のりか)監督だった。


(やっと、一奥(いちおく)らしくなってきたじゃない。)「村石(むらいし)君、ちょっと覚悟した方がいいかもしれないわよ?」

「監督……」


 村石(むらいし)はマスクを手に取り、ホームへ小走りで向かった。


(一奥(いちおく)の状態は、捕ってる俺が一番よくわかっている……)

 座った村石(むらいし)はミットを構え、一奥(いちおく)の投げる球を捕った。

(だよなぁ……あいつの球は何も変わってないじゃないか。まぁ、俺がリードして抑えるだけだ)

「プレイ!」

 球審のかけ声に続き、村石(むらいし)ごサインを出した。

(本気は本番って事か?それなら見せてもらおうか。アウトコースのストレート……ここに来い!)

 村石(むらいし)のサインに頷き、一奥(いちおく)が投球モーションに入った。

(遠矢(とうや)のGOサインも出たしな。)「いくぜ!村石(むらいし)先輩」

 躍動感溢れる一奥(いちおく)のフォームに、キャッチャーの村石(むらいし)は無意識に唾を飲み込んだ。

「せいっ!」

パーン!「ストライーク」

 村石(むらいし)が捕球したその瞬間、左手から衝撃が走った。

(……痛ぇ。こいつ、本当に上げてきやがった!こんな球は捕った事がない。鶴岡(つるおか)よりも……明らかに速いじゃないか……)「な、ナイスボールだ……」

 ヒョイ……パシッ

「おいおい村石(むらいし)先輩!盛り下がる声かけるなよー」

「うっ、うるせぇ。誉めただろ!次行くぞ!」


「へへっ。そうこなくっちゃ」


 村石(むらいし)がサインを出す。

(それならこれだ)

「はぁ?ちょっと待ってよ村石(むらいし)先輩。初回にスライダーは無しだって言っただろ?」


「バカ!一奥(いちおく)、サインを言うなー!」

「まぁ……」

 一奥(いちおく)は振りかぶってしまった。

「お、おい!」

「関係ないけどさっ」

(あのバカ!マジで投げやがった!まさか本当にスライダーなのか?……まっ曲がる)

「くっ……」
バッ

「ストライクツー」

 バッターは空振りし、村石(むらいし)は後ろへ逸らしてしまった。

(なんだ?今のキレは。初回のスライダーとは別物じゃないか!)

「村石(むらいし)先輩、ボールボール。後ろ後ろ」

 マウンドの一奥(いちおく)がバックネットを指差すと、村石(むらいし)は振り返って立ち上がった。

「あ……あぁ」

 呆然としながら、村石(むらいし)はバックネットへボールを拾いに行った。マスクを着け直して座ったが、あまりの衝撃にサインを出せる状態ではなかった。

「ん~、村石(むらいし)先輩まだかよ」

「あ、そうか……サインだったな」


「めんどくさいから真ん中のストレートいくよ」

「はぁ?」

 バーン!「ストライク、バッターアウト」

「つぅ……」


 ストレートを受けた瞬間、村石(むらいし)はキャッチャーミットを反射的に外してしまった。

 痛みを和らげる為、ブラブラと左手を振るのは必然だった。

(なんだ、この球。くっそ痛てぇ。これじゃ、俺のリードなんか必要ないじゃねーか!)

 村石(むらいし)の姿を見た一奥(いちおく)は、苦笑いをしていた。


(ちょっと……やり過ぎちゃったかな……)

「一奥(いちおく)!」

「はっ、はい!」(スゲェ怒ってない?)


「ワンアウトだ……」ヒョイ

パシッ「お、おう……」

 二人のやり取りを見ていた紀香(のりか)監督は「ウフフ」と笑い、上機嫌だった。

 そして遠矢(とうや)からは、抑えろ!と一奥(いちおく)にサインが出ていた。

(わかってるよ、遠矢(とうや)。さて、続きを始めますかね)

 一奥(いちおく)は、ニヤリと笑った。

 遠矢(とうや)の指示でもあったが、一奥(いちおく)が投げたいように投げる気持ちを抑えた理由はもう1つあった。

 一奥(いちおく)は、何も言わない村石(むらいし)の負けん気が気に入ったのだ。

だが、ここから遠矢(とうや)も予想出来なかった事態へと進んでいく。

「ストライク!」

「よしっ!」

「何がよし!だ」

「え?」(だって今のキャッチングじゃ、村石(むらいし)先輩の手がもたないんだけど……)

「気持ち悪い球投げんじゃねぇ!さっきみたいにバシッと来い!」

 返事に困った一奥(いちおく)は、三塁ベンチの遠矢(とうや)をチラッと見た。

(お手上げ?ってことは、遠矢(とうや)の計算外って事かよ。それなら、やりたいようにやるしか……)「ごめんごめん、村石(むらいし)先輩。今のは手が滑っただけだよ」

「よし、ストレートで来い!」

(あれ?口で言っちゃってるし)

 苦笑いした一奥(いちおく)だったが、ミットを構えた村石(むらいし)の目に光を見た。

 手が痛いのは間違いない。だが、それ以上に早く球を受けたくてワクワクしている村石(むらいし)がいる事に、一奥(いちおく)は気づいた。

 すると、一奥(いちおく)はストレートと宣言した村石(むらいし)のサインを取り消した。

 驚いた村石(むらいし)は、タイムをかけてマウンドへと走って行った。

「どういう事だ?一奥(いちおく)。お前の球ならリードはいらない。いいからビシビシ来いよ!」

「う~ん、それでもいいんだけど、俺はつまんないんだよね……」

 下を向き、マウンドを蹴っていた一奥(いちおく)が村石(むらいし)を睨んだ。

「これが……村石(むらいし)先輩の限界なのか?」

「なにっ!?」


 村石(むらいし)は、再び衝撃を受けた。
それは、抑えれば何でもいいと思っていたからだった。

 一流のバッターでも3回に2回は失敗する。つまり、抑えるのとバッターが失敗するのは、同じアウトでも意味が違う。

 自分のリードを捨て、一奥(いちおく)の力で抑えると判断した村石(むらいし)は、自身の限界を示した事になる。

 歯を食い縛った村石(むらいし)が、一奥(いちおく)を認めた決定的瞬間だった。

「悔しいが、認めていなかったのは俺ではなくお前……逆だったようだ」

「そんなのいいよ。それよりどうするの?」


「決まってるだろ!限界を超えた俺のリードに従え」

「ははっ。面白れぇ!」

 マウンドから戻る村石(むらいし)の姿は、一人の野球少年のようだった。その顔は、笑みさえ浮かべていた。

 一奥(いちおく)は、ホームへ戻る村石(むらいし)の背中を見て微笑んでいた。

(やっと面白くなってきたぜ。でも、多少打たれるのは覚悟しなきゃな……)

 再び村石(むらいし)が座り、サインを出した。

(あいつは何でも投げられる器用な奴だ。なら……)

「ぷっ」(村石(むらいし)先輩、いきなりそれかよ。今までの自分への挑戦なんだな)「でぇい!」


カキン「サード!」

パシッ「アウト」

 ファーストからの返球を捕った一奥(いちおく)は、ニヤリと笑った。

(チェンジアップか。タイミングを外して、完全に打ち取ったな。さっきまでの村石(むらいし)先輩なら、インハイのストレートかな)

「よーし、ツーアウトだ!」

 右腕を上げ、叫んだ村石(むらいし)の強きなリードは一変した。

 次のバッターは、ストライクからボールになる球を振らせる絶妙なリードで打ち取る。

 スリーアウトでベンチへ戻る村石(むらいし)は、今まで味わった事のない楽しさに興奮していた。

「ナイスだ一奥(いちおく)!」

「村石(むらいし)先輩こそ、いいリードだったよ」


「ハハッ。よーしみんな、逆転だ!」

『おーー!』

 ピリピリしたムードから一気に変わった一塁側チームを見たエースの鶴岡(つるおか)は、内心穏やかではなかった。

(村石(むらいし)……まぁいい。俺はまだノーヒットだ。浮かれているあいつらに打たれる訳がない)

 マウンドから一塁ベンチを睨む鶴岡(つるおか)の下に、キャッチャーの遠矢(とうや)が来た。

「鶴岡(つるおか)先輩、この回はどうします?」

「俺がサインを出す。力の差を見せつけてやる」


「わかりました」

 遠矢(とうや)がホームへ戻り、球審の右手が上がった。


「プレイ!」

(今日はいつになく絶好調だ。行くぜ!)

 マウンドの鶴岡(つるおか)が振りかぶる。
しかし、この回の鶴岡(つるおか)は五回までのピッチングが影を潜める程別人になっていた。