リミット5話 自信と覚悟

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「ん?監督、上です上~!」

 大の字で天を仰いでいた杉浦(すぎうら)の目が、一奥の投げたボールを捉えた。

(上ですと?)「ハッ!」

 木村(きむら)監督がボールを目で捉えた時、すでにボールは頭のすぐ上を通過しようとしていた。
タイミングは完全に外されたが、木村監督はバットを振り抜いた。

 ポスッ「ストライク、バッターアウト!」

「しゃあ!」

 空振りしたボールは、遠矢(とうや)のミットへ静かに収まった。一奥(いちおく)は左腕を上げガッツポーズ。遠矢はマスクを外して立ち上がった。

「すみません、監督」

「いやいや、まさか天上ボールとは。ホームベースの奥行きを利用した、見事な予告ど真ん中でしたな。」

 ヘルメットを外した木村監督は、久々に投げた天上ボールを確認するようにシャドーピッチングをするマウンドの一奥を見ていた。

「あの様子ですと、一奥には納得のいくボールではなかったようですね。小学生の時は、一奥の得意ボールだったんですけど」

「そうですか……」

 その場にバットを置いた木村監督は、微笑みながら天を見上げた。

「君たちは本当に楽しそうに野球をします。ここ十数年、私は大切な事を忘れていたようですなぁ」


「木村監督……」

 三年後に廃部と聞かされていた遠矢は、西島(せいとう)高校野球部を三十年見てきた木村監督の気持ちが、痛いほど伝わった。

「僕は、木村監督とここで野球したかったです。それが叶わなくて、本当に残念です」

「遠矢君、君たちなら名門と呼ばれた西島(せいとう)を復活できるかもしれません。頑張って甲子園へ行きなさい」


「甲子園ですか……でも、それを次期監督は望んでいないようですけど」

「ホホッ、そうでしたな。ですが、プレーするのは君たちです」

「はい……」

 遠矢の脳裏に、様々な事が浮かんだ。西島高校で木村監督と野球をする為に戻ってきた事。一奥と一緒に甲子園へ行く事。そして、次期監督は素人の女性監督だという事。その先に待つのは、廃部だという事。

 しかし、現実は何一つ叶っていない。遠矢がため息をつくのは必然だった。

「遠矢、何話してんだ?」

「一奥……ううん、何でもないよ」

 
一奥は、木村監督に勝ったテンションそのままにマウンドを降りてホームへ来た。冴えない返事をした遠矢に疑問を持ったが、表情はすぐに戻った。

「ふ~ん。まぁいいや。それより監督、早く続きをやろうぜ!俺はまだ勝ったとは……」

「一奥君……」

 一奥は二人の沈んだ表情から、(これで終わりって事か……)と空気を察した。

「お疲れ様でした、木村監督」

 ホームへ歩いてきた紀香(のりか)が、木村監督に一礼した。

「もう監督ではありませんよ?紀香監督」

「え?この先生が監督なの?」

 木村前監督の言葉を聞いた一奥は、目を丸くして紀香を指差した。一奥と目が合った紀香は、ため息をついた。

「あなた、今頃気づいたの……」

「いや、俺はてっきり理事長の娘とか、セレクション用の偉い先生かと」


「ぷっ……」

「え?」

 混乱する一奥は、目を泳がせた。いつの間にかホームへ集まってきていた野球部員たちは、『アハハ!』と笑った。

「一奥、あなたの感は合格ね」

「じゃあ、本当に監督なの?」


「そっちなの?あなた本当に野球しか頭にないのね」

「へ?」

 再び『アハハ!』と、その場が爆笑の渦に包まれた。

「めんどくさい子ね。私の名前は西島紀香(にしじまのりか)。理事長の娘だし、来年度から三年間この野球部の監督。これでいいかしら?」

「マジかよ……」

 ようやく理解した一奥は驚いたが、すぐに「ま、いっか!」と微笑んだ。その態度に、野球部員たちはずっこけた。

「でもさぁ監督、三年間ってどういう事?なんで廃部なんだよ」

「そうね。これは西島高校の経営問題。三年というのは、都合のいい言い訳よ」

「そっか……」

 紀香は、一奥が一瞬だけ見せた残念がる顔を見逃さなかった。振り返った一奥は、いつもの調子で一塁側へ歩き出した。

「監督。経営の事はよくわかんねぇけど、廃部にならないように頑張ってな。今日は楽しかったよ。遠矢、帰ろうぜ」

「一奥!」

 遠矢は呼び止め、すぐに紀香へ訴えるような目を向けた。一奥の背中へ目を移した紀香は、腕組みをして下を向いた。

「おい、一奥。まだ勝負はついてないぞ」

 紀香の前を、杉浦が横切って一奥を追う。(杉浦君?)と紀香が顔を上げると、『そうだそうだ!』
と次々に野球部員たちが一奥を追った。

(あの子たちまで……)

 紀香は動かない。そのまま一奥を追いかけた生徒たちの動向を見守った。すると、「待て!」と一奥に追いついた杉浦が肩を掴んだ。

「なんだよ、杉浦先輩。そんなに続きがやりたいなら、春から試合で勝負できるだろ?」

「足りないな、それでは足りん。お前とは毎日勝負だ!」

 杉浦は、胸を張ってニヤリと笑った。一奥は、少し困り顔だった。

「毎日?ってさ……そんなの無理に決まってるだろ。俺はセレクションに落ちたんだぜ?高校だって決まってねぇし、忙しいんだよ」

「うるさい。それなら一般受験で西島高校に入れ」

「はぁ?遠矢じゃあるまいし、そんな頭は俺にねぇよ!」

 一奥と杉浦の言い争いが続いていた。野球部員たちは、一奥を一塁ベンチ前で囲みながら様子を伺っている。その時、ホーム付近に残っていた木村前監督が、紀香の隣で立ち止まった。

「どうしますか?紀香監督」

「木村監督……」

 紀香は下を向き、右手を顎に当てた。

(個人的な私の答えは出てる。でも、廃部が決まった監督としての判断では、一奥は必要ない。あの子の影響力は、理事長の決定を変えてしまう可能性があるわ。三年後の廃部が決定事項なのは変わらない。遠矢がいれば、父の意向は達成できるのよ……でも……)

 紀香は目を閉じ、葛藤していた。

(斉藤一奥。この子がいれば、木村監督がおっしゃったように、本当に古豪復活が叶うかもしれない……もし甲子園へ行けるなら……)


遠矢と木村前監督は、紀香が雑念を振り払うように首を振る姿を目にした。

(違う、違うわ。父は野球部再建を望んでいない……)

 その時、困り顔の紀香の耳に、木村監督の一人言が聞こえた。

「先代の理事長……あなたのお爺様から監督の依頼を受けたのは、私が30才の時でしたなぁ」

「木村監督?」

「今の理事長であるあなたのお父様は、私の教え子の中でも特に素晴らしい選手でした。大学で肩を壊さなければ、プロ入りは確実だったでしょうな。その後野球を辞め、あなたと同じように教員になられた。1年後には結婚され、あなたが生まれました。現理事長には、教員当初から私の後任へとの話があったのですよ。ですが、お父様はお断りになられたのです。まだ幼かったあなたが大好きだった西島(せいとう)野球を見せられるのは、私しかいないとおっしゃっていました。とても嬉しく思った事を、今でも鮮明に覚えていますなぁ」

「幼い頃の自分なんて、私は覚えていませんわ……」

 バックネットへ振り返った紀香の仕草は、木村前監督には照れ隠しに見えた。

「私が定年になり、他の誰かではなくあなたに野球部を任せたのは、理事長の親心かもしれませんなぁ。三年後に廃部と決め、後がない野球部をあなたがどうするのかを、理事長は見守りたい気持ちがあるのかもしれません。結果はどうあれ、けじめをつけるならあなたしかいないと、理事長自身が納得出来る理由も、他になかったのでしょうなぁ。」

 バットを拾った木村前監督は、紀香にバットを渡した。受け取った紀香は、両手で握ったバットの先を見た。

(木村監督のおっしゃる通りかもしれない。私自身、三年後の廃部という話でなければ、監督は引き受けなかった。はなから再建しろと父に言われても、私には出来ない。他の監督を招いて再建出来ればいいけど、出来なかった場合を考えると、その負債は大きい。そして現状、再建出来るだけの選手が今の西島(せいとう)には集まらない。事実上、誰が監督でも再建は不可能……)

 紀香は、軽くバットを振った。

(その結果廃部となれば、私は理事長のやり方に不信感を抱く。三年後に同じ廃部でも、私が監督なら周りを説得できる。引き受け手がいなかったと。これが、理事長の立場として父が考えた答え。今の停滞した野球部の為に出来る最善の方法が、私に野球部を任せるという選択……)

 紀香は、バットをグラウンドに叩きつけた。

(私は甘かった。父は全ての可能性に対して、前しか見ていなかった……だとすれば、今の私には自信も覚悟も足りない……)

 紀香はバットを片手に持ちかえ、ヘッド部分を一奥に向けた。

「一奥!待ちなさい。」