任せたよ|リミット34話

 三振するばすの遠矢(とうや)がバットを出した。白城(しらき)も叫ぼうとしたが、遠矢(とうや)の横顔を見て叫ぶのを止めた。


(あの遠矢(バカ)……何でそんなに楽しそうなんだよ……)


 
そんな遠矢(とうや)を見て、一奥(いちおく)は笑った。


「そう言えば、遠矢(とうや)は三振するとは言ったけど、バットを振らずに何もせず三振するとは言ってなかったな。仟(かしら)、怒んないでやってくれよ?」

「また騙されました……」


「でも、あいつはあいつで、必死なんだと思うぜ?」


 一奥(いちおく)の言葉通り、右手の包帯がすでに赤くなっている事に仟(かしら)は気づいた。


 そして一奥(いちおく)は、ヘルメットを被ってネクストバッターズサークルへ向かう。


 仟(かしら)同様、キャッチャーの九条(くじょう)も、遠矢(とうや)の出血が止まっていない事に気づいていた。だがバットを持って打席にいる以上、遠矢(とうや)は侮れない敵だと油断してはいなかった。


 次々に厳しい球を投げ込むピッチャーの松原(まつばら)。彼もまた、体力の限界と戦っていた。


 二人の戦いは、気力の勝負となった。


「ボール。フルカウント」


(小山田(おやまだ)さんの粘りで、すでに松原(まつばら)の球の変化は早くなっていた。これなら……一奥(いちおく)に託せるね……)


 遠矢(とうや)が見せた安堵の顔は、九条(くじょう)には余裕の表情に見えた。


(くそっ、限界だ……松原(まつばら)、悔しいが遠矢(とうや)歩かせる。外のスライダーだ)


 肩で息をする松原(まつばら)。九条(くじょう)のサインに歯を食い縛りながらうなずき、懸命に腕を振った。


「ストライクバッターアウト!」


 空振りした遠矢(とうや)は、一息ついてベンチへ歩き出した。しかしその姿に、九条(くじょう)の体には電流が走った。


(遠矢(とうや)がボール球を振った?わざとか!……こいつがここで一奥(いちおく)に託したのなら今の松原(まつばら)は……一奥(いちおく)に打たれる!)


 九条(くじょう)は迷った。もう一度マウンドへ立つべきなのかと。


 しかし遠矢(とうや)がバッターボックスを立ち去る際、1滴の血をホームベースに落としていた。


 九条(くじょう)はそれを、遠矢(とうや)の覚悟と受け取った。


(いや……こんな面白い勝負に水を刺す訳にはいかない。松原(まつばら)は梯(ウチ)のエースだ!そして遠矢(とうや)が託した一奥(いちおく)を打ち取ってこそ、この打席の遠矢(とうや)に勝った証だ!)


 気合いの入った表情で、九条(くじょう)が立ち上がる。


「松原(まつばら)!一奥(いちおく)を抑えて終わりにするぞ!」

「ハァ……当たり前だ!任せろ」


 バッターボックスから帰ってきた遠矢(とうや)は、一奥(いちおく)に声をかけた。


「一打サヨナラ……任せたよ!一奥(いちおく)」

「あぁ!」


 同点の九回裏、ツーアウトランナーなし。舞台は整い、九番の一奥(いちおく)が静かに左バッターボックスへ入った。


 自然に空気が緊迫する。


 一奥(いちおく)もキャッチャーの九条(くじょう)も、言葉を交わす事はなかった。


 初球、外のシュートを空振りし、ストライク。二球目、インコースのスライダーを見送りボール。三球目、高めのストレートを見送りボール。四球目、外のシュートを打ちファール。


 カウントはツーツー。一奥(いちおく)は追い込まれた。そして五球目。縦のスライダーを松原(まつばら)は投げた。


「ファール」

「くっ……」


 決めに行った九条(くじょう)が悔しがる。


(やはり曲がりが早い。一奥(いちおく)にスライダーだと見切られている。……ならば、一か八かあれを使うしかない!)


 九条(くじょう)は、この試合初めて投げるボールのサインを出した。それを見た松原(まつばら)は、一旦プレートを外して帽子を取り、右腕で額の汗を拭った。


 再びキャッチャー九条(くじょう)のサインを見ると、やはり同じサインだった。


 松原(まつばら)は覚悟を決める。


(これは未完の球。本来ならまだ投げられる球ではない。だが、毎日ボールを捕ってくれた九条(くじょう)の選んだサイン……その期待に応えてやる!)


 集中していた一奥(いちおく)は、限界超えの球が来ると直感した。


 そして、松原(まつばら)が振りかぶる。バックスイングに入った松原(まつばら)のフォームに、一奥(いちおく)はすぐに違和感に襲われた。


(オーバースロー!)


 鋭く振り抜かれた松原(まつばら)の右腕から放たれたのは、現代魔球ナックルカーブ。

 通常、腕の振りのスピードでバレてしまうカーブの弱点を、見事にカバーした球。

 チェンジアップのようにタイミングをズラすこの球は、チェンジアップよりも変化が大きく、ストレートとの球速差までも上回る。


 松原(まつばら)は、極限の場面で最高のカーブを投げた。一奥(いちおく)は、完全にタイミングを外される。


 しかし、限界を超えた松原(まつばら)の球が一奥(いちおく)のバッティングを進化させた。


 一度出しかけたバットを素早く戻し、完全に振り遅れたバットが凄まじいスピードで徐々にタイミングのズレを修正していく。


 キャッチャーの九条(くじょう)が息を飲んだ瞬間、ナックルカーブが一奥(いちおく)のバットに吸い込まれた。


「いっけぇぇ!」


 カキーン!


 真芯で捉えた打球音が、グラウンドに響いた。

プレゼント

 パーン……

「松原(まつばら)ー!」


 歓喜に震えた九条(くじょう)が叫ぶ。目にしたのは、左腕を限界まで伸ばして打球をキャッチした、宙に浮く松原(まつばら)の姿だった。


 着地した松原(まつばら)は、左のグローブに収まるボールを見て呆然としていた。


 松原(まつばら)自身、どのようにジャンプして捕球出来たのかわからなかった。ただ、執念が体を動かしたとしか考えられなかった。


 打ち取られた一奥(いちおく)は、マウンドでたたずむ松原(まつばら)を見て、この勝負に満足していた。


 もし松原(まつばら)が奇跡とも言える守備を見せなかったら、一奥(いちおく)の打球はどうなっていただろう……。


 そんな事を考える者は、このグラウンドには誰一人としていなかった。お互いに、この勝負は結果以上の内容だったからだった。


 笑顔の一奥(いちおく)が遠矢(とうや)を見る。遠矢(とうや)は、仟(かしら)に新しいガーゼと包帯を巻いてもらっていた。


 遠矢(とうや)の作った左手のグッドサインを見た一奥(いちおく)は、微笑みながら一塁ベンチへ歩き出した。


 
 西島(せいとう)高校対梯(かけはし)高校の練習試合は、16対16の引き分けに終わった。


 スッと立った紀香(のりか)監督は、三塁ベンチへと歩き出した。一奥(いちおく)とのすれ違い様、紀香(のりか)監督は右手で一奥(いちおく)の右肩をポンと叩いた。


 その時一奥(いちおく)は、紀香(のりか)監督に一言呟いていた。


 三塁ベンチへ着いた紀香(のりか)監督は、木村(きむら)監督に笑顔で一言告げた。


「木村(きむら)監督。私もすっかり、野球バカになったようです」

「ホホッ、そのようですな」


 木村(きむら)監督が三塁ベンチからライト方向の校舎の屋上を見上げると、その視界を横切る西島(せいとう)ナインの姿が映る。


 紀香(のりか)監督は、頭を軽く下げて一塁ベンチへ戻った。


「行くぜ!遠矢(とうや)」

「来い!一奥(いちおく)」

 バシーン!


 投球練習を始めたバッテリーの後ろを、紀香(のりか)監督は一奥(いちおく)の呟いた言葉を思い出しながら通過した。


(まだ九回だろ?……か。懐かしいわね……)


 紀香(のりか)監督は、半年前のセレクションで叫んだ一奥の言葉を記憶と重ねていた。


“ 先生、ちょっと待ってくれよ。まだ9人にしか投げてないぜ? ”


「フフッ……」 (あの子らしいわね)


 ベンチへ座った紀香(のりか)監督は、この試合初めて帽子を被った。


 そして、予定にない延長十回が始まった。支度を終えた二番の七見(ななみ)が、意気揚々と打席に向かった。


「よっしゃー!この回九条(くじょう)まで回る。行けるぜ!」

「七見(ななみ)!」


 九条(くじょう)の声に、七見(ななみ)は立ち止まって振り向いた。


「どうした?九条(くじょう)」

「バントはするな。俺たちは、俺たちの野球を超える」


「ハハッ。あぁ、そのつもりだ!」


 十回表、打席に二番の七見(ななみ)が入る。


「一奥(いちおく)。俺たちはもうバントはやらない。限界を超えてやる!」

「あぁ。その為の延長だ!しっかり土産を持って帰れよ」


 一奥(いちおく)が初球を投げた。


(ど真ん中のストレート!)

 バーン!「ストライク!」


 七見(ななみ)が豪快に空振る。だが、その楽しそうな顔に一奥(いちおく)も微笑んだ。


「どうだ?七見(ななみ)。旨いだろ?」

「あぁ!よだれが出るぜ」


「喜んでもらえて良かったぜ!」


 バーン! 「ストライクツー」

(またど真ん中……当たらねぇ……)「くそっ!来い!一奥(いちおく)」


 三球目もど真ん中のストレート。


「持ってけ!泥棒」

 ズバーン!

「ストライクバッターアウト!」


「くっそぉー!三球で終わっちまったぁ。一奥(いちおく)、もっと打たせろ!」

「どけ!七見(ななみ)。次は俺だ」


 待ちきれないネクストの二宮(にのみや)が打席に来た。


「あぁ?退きたくねぇ!」


 七見(ななみ)が駄々をこねる姿を見ていた三塁ベンチは、皆がウズウズしていた。


「俺も打ちてぇ!」
「くっそ。何で試合なんだよ。回って来ねーじゃん。」
「二宮(にのみや)ー!俺たちにも回してくれー!」


 この時、木村(きむら)監督は興奮していた。グラウンドの様子、ベンチで野球がしたくてしたくて仕方がない彼らの声と姿。


 満面の笑みで、大きく二回も頷いていた。


(梯(かれら)はこれからもっと強くなる。そして、西島(きみたち)も……。夏が楽しみですなぁ)


 ズバーン!「ストライクツー」

「くっそ。もういっちょだ!」


 二宮(にのみや)もど真ん中を二球空振り。間髪入れず、一奥(いちおく)が三球目のど真ん中を投げる。


「バットに当たればおかわりをやるぜ!」

 ズバーン!「ストライクバッターアウト!」

「くそぉ!」(当たらねぇ……これが本当に一奥(いちおく)のストレートかよ!)

「二宮(にのみや)!夢でうなされんなよ?」

「バカか!あいにく中学で慣れてるんだよ!」


 そして野球バカが見たかったであろう、四番の九条(くじょう)が左打席に立った。その険しい表情に、一奥(いちおく)はニヤリと笑った。


(こうなる運命だったみたいだな……) 「審判、タイム!」

「ターイム」


 一奥(いちおく)は、キャッチャーの遠矢(とうや)をマウンドへ呼んだ。


「遠矢(とうや)、手は大丈夫か?」

「うん。捕るだけだから大丈夫だよ」


「そっか」

「それより一奥(いちおく)。このままだと九条(くじょう)には打たれるよ?」


「やっぱりそう?」

「だから僕を呼んだんでしょ?」

「まぁな」


 すると一奥(いちおく)は、振り返って屋上を見た。


「なぁ遠矢(とうや)。あの屋上までって、何メートルあるのかなぁ」

「確か、150メートルはあったと思うけど……一奥(いちおく)、まさかとは思うけど……」
「遠矢(とうや)!一点だし、試合に負けなきゃいいよな?」

「プッ……アッハハ。ここで九条(くじょう)にその限界を課すとはね」


「そうか?色んな意味のある挑戦だと思うんだけどなぁ。面白いだろ?」

「確かにね。特に木村(きむら)監督は喜ぶと思うよ」


「だよな。じゃあいってみるか!勝負は、九条(あいつ)の大好きなインハイだ」

「オッケイ。わかったよ」