音を聞け|リミット31話

 八回の表、二番の七見(ななみ)が打席に立った。

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「一奥(いちおく)!ストレートで来い!」

「俺は知らねぇよ。遠矢(とうや)に聞いてくれ」


「なに?」


 すると七見(ななみ)は、キャッチャー遠矢(とうや)へと振り向いた。


「おい、キャッチャー。一奥(いちおく)のストレートと勝負させてくれ。俺は借りを返す!」

「それは難しい相談だね。こっちも打たれる訳にはいかないから、条件付きなら。初球はストレートでいいよ」


「ははっ。一奥(いちおく)のキャッチャーを真面目に務めるだけあるな。うっし、来い!」


 七見(ななみ)は嬉しそうに構え、一奥(いちおく)は振りかぶった。


「今は機嫌がいいからな。大サービスだぜ?七見(ななみ)。うりゃー!」


(一球で仕留める!)「だぁ!」

「ファール」


 七見(ななみ)はバットを地面に叩きつけた。


「くそ!」


 すると、返球を受けた一奥(いちおく)がニヤついた。


「遠矢(とうや)、もう一球ストレートでもいいか?」

「わかったよ。それでいこう」


 二人の会話を聞いた七見(ななみ)の顔が微笑んだ。


「マジか!出血大サービスだな。ありがてぇ……」


 しかし、二球目も三塁側へのファールとなった。


「くそっ、嫌な記憶が蘇るぜ」


 すると一奥(いちおく)が、再び七見(ななみ)を挑発した。


「飛ばねぇなぁ七見(ななみ)。ならもう1球ストレートだ!」


 三球目、一奥(いちおく)が振りかぶった。


「そう何度もやられて……なっ!」(俺が……振り遅れてる?)

 ズバーン! 
「ストライクバッターアウト」

「よっしゃー!ワンアウト」


 一奥(いちおく)は、元気に左手を握った。ベンチへと下がる七見(ななみ)は、相変わらずの強きだった。


「一奥(いちおく)、もう一度勝負だからな!」

「もう八回だぞ?回るわけないだろ」


「なら追いつけ!延長で俺が決める」

「それは楽しみだな」


 続く三番の二宮(にのみや)は、悔しがる七見(ななみ)と言葉を交わす事なく集中して打席に立った。


「俺は七見(ななみ)のように注文はしない。どんな球でも打ってやる。さぁ来い!」



 初球は膝下のスライダーがストライク。二宮(にのみや)は見極めるように見送った。


「どうした?二宮。来いよ!」


 挑発した一奥(いちおく)だが、遠矢(とうや)は冷静に同じスライダーを選択した。


 二宮(にのみや)は、またストライク見逃し。そして、一奥(いちおく)を睨みつけた。するとここで、一奥(いちおく)の眉が上がった。


「そういうことか。なんだよ二宮(にのみや)。最初からストレートを狙ってるじゃねぇか。ならいいな!遠矢(とうや)」

「……仕方ないね……」


 三球目、一奥(いちおく)は二宮(にのみや)の待っていたストレートを投げた。
その瞬間、二宮(にのみや)の目つきが鋭くなった。


(来た!七見(ななみ)の打席でタイミングはバッチリ。ここだぁ!)

 パーン! 
「ストライクバッターアウト」


「くっ」(なぜだ?なぜ合わない……)


 狙い球を空振りした二宮(にのみや)は、混乱気味だった。少し肩を落としながらベンチへ歩きだすと、そこへ四番の九条(くじょう)が現れた。


「わからないって顔をしてるな?二宮(にのみや)」

「九条(くじょう)……」


「お前は相手を間違えている。一奥(いちおく)が打てないのではない。遠矢(とうや)が打てないのだ」

「キャッチャーが打てない?どういう意味だ!九条(くじょう)」


「七見(ななみ)もそうだ。打てそうと思わせるのがワナだ。自由に一奥(いちおく)に投げさせているように見せて、結局遠矢(とうや)は打てない球を要求しているという事だ」

「なんだと?」


「普通に打てる球じゃないのさ。今の一奥(いちおく)のストレートはな」

「九条(くじょう)……」


 バッターボックスに入った九条(くじょう)の目は、ストレートで勝負しろと、一奥(いちおく)に訴えていた。

 一奥(いちおく)は乗る気満々だが、遠矢(とうや)は違った。このままでは九条(くじょう)には打たれるとわかっていた。


 だが、それと同時に試したくもなっていた。


 本当に、九条(くじょう)に一奥(いちおく)のストレートが見切れるのか?


 遠矢は、騒ぐ野球バカの血を止められなかった。(僕も一奥(いちおく)の事を言えないな……)と、遠矢(とうや)のワクワクした気持ちは加速していった。


「一奥(いちおく)、全球ストレートで行くよ!」

「へへっ。遠矢(とうや)の口からその言葉が出るとは思わなかったぜ」


 二人の会話を聞いていた九条(くじょう)は、喜びを隠せずニヤリと笑った。そしてその顔は、すぐに勝負師の顔になった。


(今の一奥(いちおく)のストレートは、二種類ある。これは見た目ではわからない……鍵は耳だ!空気を切る音で判断するしかない)


 九条(くじょう)の読みは合っていた。バッテリーは、ストレートの回転数を変えていたのだ。


 手元で伸びるストレートと、伸びないストレート。球速は同じでもタイミングは微妙に変わっていた。その球を遠矢(とうや)は、各バッターの実力に合わせて投げ分けていたのだ。


 初球、九条(くじょう)はボールを見ずに目を閉じた。


 シュルルルル……

「ストライク」


(今のが回転数を減らしたストレート……)


 目を開けた九条(くじょう)を、遠矢(とうや)が見上げた。そして二球目。遠矢(とうや)が選んだのは、三球目の勝負を楽しむ為のストレートだった。


(また九条(くじょう)が目を閉じた……リスクはあるけど、逃げたくもないからね)


 シューーー

「ストライクツー」


 ボールが遠矢(とうや)はのミットに収まった瞬間、九条(くじょう)はまた目を開けた。遠矢(とうや)が見上げたその顔は、自信に満ちていた。


(九条(くじょう)……) (遠矢(とうや)……)


*1


 遠矢(とうや)からのサインが、一奥(いちおく)に送られる。頷いた一奥(いちおく)を見た九条(くじょう)は、振りかぶった一奥(いちおく)の姿を見て目を閉じた。


(イメージは固まった……。伸びないストレートなら、バットの先で打ち取られる。伸びるストレートなら空振りだ。集中しろ……)

(行くぜ!九条(くじょう)) 「うりゃー!」


(音で判断し、目で合わせる!)


 シューーーー

 その音を聞いた瞬間、スイング体勢だった九条(くじょう)の目が開いた。

(伸びるストレート!)

 カキーン!


 九条(くじょう)の打球は、一直線にバックスクリーンへ飛んだ。


 だが、この打球をあらかじめ読んでいたかのように、センターの要(かなめ)はフェンスの上に立っていた。


 要(かなめ)がボールを見上げながら両腕を上げる。


「あ……」

 バン……


 打球は要(かなめ)の上空を通過し、バックスクリーン上のスコアボードに当たった。


「よっしゃー!」
「特大ホームランだ!」
「ついに一奥(いちおく)を捉えたぜ!」


 一塁を回った九条(くじょう)が、右腕を高々と挙げた。その時、マウンドへ来た遠矢(とうや)に一奥(いちおく)は問いただした。


「遠矢(とうや)、ミスったか?」

「それはないよ。僕は空振りだと思ったしね。九条(くじょう)が限界を超えたんだよ」


「そうか……やられたな」

「そうだね。凄いバッターだよ」


 二人は、二塁を回る九条(くじょう)を嬉しそうに見ていた。


 打たれる一奥(いちおく)に対して、チームメイトの仟(かしら)は以前ドMですかと言った。


 だが一奥(いちおく)と遠矢(とうや)が打たれて喜ぶのは、ライバルの成長が自分たちの成長へも繋がるからだった。


 人は、自身が限界を超える事に喜びを感じると共に、限界を超えた者を目にした時も喜びを感じる。


 限界は、己自身が作るもの。


 その限界を超える者を目にした時、己の限界も限界でなくなる。そして、さらなる高みへと成長できる。


 マウンドの一奥(いちおく)と遠矢(とうや)の下へ来た仟(かしら)は、今はそれを理解している。


「九条(くじょう)さんって、凄いバッターですね。あのストレートが打たれるとは思いませんでした」

「仟(かしら)も僕らと変態仲間になる?」


「遠矢(とうや)さん。それはもう忘れて下さい……恥ずかしいですから……」

「ごめんごめん、冗談だよ」


 遠矢(とうや)が笑顔で返すと、仟(かしら)は振り向いて空を見上げた。


「それにもう……仲間入りしてますから。早くこの回を終わりにして、4点差を追いかけましょう!」


 仟(かしら)は、照れ笑いをしながらボジションへ戻った。そして、九条(くじょう)が4点差のホームを踏む。


 八木(やぎ)のハイタッチに応える九条(くじょう)の姿を目にしたマウンドの二人は、改めて気合いを入れ直した。


「4点差か」

「そうだね。このままじゃ、本当に夏で廃部になっちゃうよ」


 遠矢(とうや)の声を聞いた一奥(いちおく)の目が丸くなる。


「おい、遠矢(とうや)!夏で廃部ってなんだよ!」

「あ!一奥(いちおく)は聞いてなかったんだね。この試合はさ、負けたら夏で廃部だよ」


「はぁ?なら絶対に負けられないじゃねーかよ……俺知らなかったぞ……なぁ遠矢(とうや)。なんか策はあるんだろ?」



 肩を落とす一奥(いちおく)に、遠矢(とうや)はボールをトスした。


「ないよ。梯(かけはし)は強いし、後は根性だね」


 遠矢(とうや)はホームへ戻っていった。


「根性か……」


 すると、バッターボックスに立つ五番の八木(やぎ)が一奥(いちおく)を挑発した。


「おい、一奥(いちおく)。九条(くじょう)に打たれて俺に投げる球はあるのか?」

「言うじゃねーか、八木(やぎ)。なら、お前には根性ボールだ!」


「根性ボール?なんだそれは」


「プレイ」


 球審の手が上がり、一奥(いちおく)が振りかぶった。


「お前が三振する球だよ!」


 ズバーン! 

「ストライク」


 見送った八木(やぎ)は、ニヤリと笑った。


「ただのストレートじゃねーか!」

「うるせぇ、根性ボールだ!」


 ズバーン 

「ストライクツー」


 二球目、再び八木(やぎ)は見送った。


「だからこれはストレートだろ!」


「根性ボールだって言ってるだろ!」


 一奥(いちおく)が三球目を投じる。その球を見た八木(やぎ)は、腰を引きながら驚いた。


「ストライクバッターアウト。チェンジ」


 その姿に一奥(いちおく)は、つまらなそうにマウンドを降りた。


「なんだよ八木(やぎ)。見逃しかよ。根性ねぇな」

「うるせぇ!」 (野郎……最後のインローを根性で打てる訳ねーだろ。あのバカ、とんでもねぇ球を投げやがった。今のは九条(くじょう)が打ったストレートより速かったんじゃねーのか?……いや、そんなはずはない。この土壇場で力を隠す理由がない。これこそ気のせいだ……)


 バッターボックスでうつ向いていた八木(やぎ)の下へ、キャッチャーの九条(くじょう)が歩いて来た。


「どうした?八木(やぎ)。チェンジだぞ」

「九条(くじょう)。この4点差、根性で守りきるぞ!」


「当たり前だ。お前、見逃し三振でおかしくなったのか?」

「かもしれねぇ……。最後のストレート。おそらく今日最速だった……」


「なに?」


 ベンチへ下がる八木(やぎ)の背中に、九条(くじょう)は鋭い目線を送った。


(一奥(いちおく)にはまだ先があると言いたいのか) 「フッ、面白い……松原(まつばら)、後二回だ。締めるぞ!」

「あぁ」


 マウンド松原(まつばら)に声をかけ、九条(くじょう)は座った。


(一奥(いちおく)に先があったとしても、この試合ではすでに関係ない。このまま終わらせる!)

代打白城

 八回裏。4点差となった西島(せいとう)高校の攻撃は、九番の一奥(いちおく)から始まる。


 九条(くじょう)に打たれ、ごちゃごちゃうるさいベンチの白城(しらき)を遠矢(とうや)に任せ、一奥(いちおく)はバッターボックスへ向かった。


(あ~打て、こ~打て言われてもなぁ。俺は白城(しらき)とタイプが違うんだよなぁ)


 口を曲げてバッターボックスへ入ると、一奥(いちおく)は九条(くじょう)と目が合った。


「一奥(いちおく)、お前にはまだ先があるのか?」

「なぁ九条(くじょう)。そんなのあるに決まってるだろ?」


 面越しの九条(くじょう)の顔が、嬉しそうに微笑む。すると、構えた一奥(いちおく)の声が耳に入った。


「さっきお前に見せつけられたしな。俺もこの打席で、取って置きのやつを見せてやる」


「お前のバッティングに、そんなものがあったのか。初耳だな」

「ある!根性打法だ!」


 一奥(いちおく)は、ホームベースギリギリに立った。


(どうやら名前だけではないようだな。松原(まつばら)、スライダーだ。のけ反らせてやれ!)


 九条(くじょう)は軽く考えていたが、一奥(いちおく)は自分なりに考えていた。それは、正に九条(くじょう)に見せつけられたバッティングだった。

 松原(まつばら)が初球を投じる。

 一奥(いちおく)はスライダーとわかった途端、踏み出した右足で後ろへステップし、左足に体重を乗せた。


「いてっ!」

「デッドボール」


 しかし、手元で急激に曲がる松原(まつばら)のスライダーでは、スイングは間に合わなかった。


 結果的に後ろへステップした事が避ける動作になり、尻に当たってデッドボールになった。


「くっ、見たか?九条。これが……根性打法だ」

「強がるな。いいから一塁へ行け!」


「くそぉ!」


 一奥(いちおく)は、尻をさすりながら一塁へ行った。そして九条(くじょう)は、楽しそうにバッターボックスへ歩いてくる一番の要(かなめ)を見ていた。


(一奥(いちおく)の根性打法はどうでもいい。それより要(こいつ)だ。早めに仕留めるには、上下の二択がいいだろう……)


 九条(くじょう)はファールになりやすい左右の攻めを辞め、ストレートと縦のスライダーで打ち取るリードに変えた。


「ストライク」

(ストスト……)


 要(かなめ)は初球を見逃し、二球目も見逃して追い込まれる。


(またストスト……)


 サインを出す九条(くじょう)は、三球勝負に出た。


(これで空振り三振。松原(まつばら)、縦のスライダーで仕留めるぞ!)


 頷いた松原(まつばら)が三球目を投じる。そして要(かなめ)がスイングに入った。


(来た!ストスラ!)


 カキーンという快音と共に、打球はライナーでライト前へ。ノーアウト一・二塁となった。



 要(かなめ)は、縦のスライダーのみに絞っていた。それは、球数を気にするキャッチャー九条(くじょう)の心理を読んだ、遠矢(とうや)の指示だった。


 要(かなめ)が一塁から遠矢(とうや)にダブルピースをし、遠矢(とうや)が頷いて応じた。その姿を、九条(くじょう)が渋い顔で見ていた。


(遠矢(あいつ)の指示か。本当に厄介な奴だ)


 そして、二番の仟(かしら)がバッターボックスへ入る。座った九条(くじょう)は、サインを出さずにホームベースを見ていた。


(この場面、送りバントでワンアウト二・三塁。ヒットを打たれた三番との勝負もある。だが西島打線の軸は、八番の遠矢(とうや)からだ。実際、西島(せいとう)のクリーンアップは松原(まつばら)なら怖くはない。途中からベンチに入った奴が気にはなるが、点差は4。ここは、送りバントはない……なに?)


 構える気配のない仟(かしら)に気づいた九条(くじょう)が見上げると、仟(かしら)はサインを出していた。


(バッターがサインを出すだと?……何を考えている……)


 サインを出し終えた仟(かしら)は、バットを構えた。


(遠矢(とうや)さんは、この八回にピッチャーをスタミナ切れにすると言っていた。カットとまではいかないけど、このケースなら……)


 バントはないと予想したキャッチャーの九条(くじょう)だったが、仟(かしら)のサインを見て初球は外のシュートを選択した。


(サインはフェイク。サードゴロならトリプルプレーだ)


 だが、投球と同時に仟(かしら)はバントの構えを見せた。ピッチャーの松原(まつばら)とファーストの八木(やぎ)がダッシュで対応する。


 それを見て、仟(かしら)はバットを引いた。


「ボール」

(そういうことか……)


 九条(くじょう)は、すぐに仟(かしら)の狙いに気づいた。


(バントの構えをすれば、その度にピッチャーの松原(まつばら)はダッシュしなければならない。これも遠矢(あいつ)の指示か)


 再び仟(かしら)がサインを出す。そして、今度は始めからバントの構えを見せた。それを見て、九条(くじょう)がサインを出す。


(今度は始めからバントの構え。送って2点返し、九回裏の遠矢(とうや)の打席に回すつもりか。それなら、真ん中のストレートでバントをやらせる!)


 パン! 「ストライク」


 仟(かしら)はバットを引いた。カウントはワンワンとなったが、またピッチャーの松原(まつばら)は、仟(かしら)に走らされてしまった。


 九条(くじょう)は松原(まつばら)に返球すると、再びサインを出す仟(かしら)をジッ見ていた。


(真ん中でバットを引いた。次はどうくる……そうか、またバントの構え。ギリギリまで松原(まつばら)を走らせるつもりか。ならばここまでだ!もう一度同じ球でバントをさせる。しなければ、追い込むだけだ)


 九条(くじょう)のサインは外のストレート。そして、セットホジションの松原(まつばら)の足が上がったその時だった。


「走ったぁ!」


 ショートの六川(ろくがわ)が叫ぶ。
ここで一奥(いちおく)と要(かなめ)がダブルスティール。


 仟(かしら)はバントの構えのまま。キャッチャーの九条(くじょう)は、三盗を狙う一奥(いちおく)を刺す体勢に入った。


 ピッチャーの松原(まつばら)とファーストの八木(やぎ)は、仟(かしら)のバントに備えてダッシュ。


 サードの二宮(にのみや)とショートの六川(ろくがわ)は、それぞれ三塁と二塁の盗塁カバーへ入った。


 その瞬間、仟(かしら)はセカンド正面へプッシュバントをした。


(バントエンドランだと!)


 一塁カバーへ走っていたセカンドの五十嵐(いがらし)が、ゴロを捕球。


 バント処理にダッシュしていたピッチャーの松原(まつばら)もファーストの八木(やぎ)も、一塁カバーには入れない。


 セカンド五十嵐(いがらし)は、とっさに二塁へ投げようとした。しかし、要(かなめ)はすでにスライディングの体勢。間に合わない。


そしてバントをした仟(かしら)は、無人の一塁ベースを駆け抜けた。


(上手くいった!これでノーアウト満塁)

「仟(かしら)~!ナイスバント!」

「はいっ!」


 遠矢(とうや)の声に、仟(かしら)は笑顔で応えた。
その姿を、ホーム付近で手を膝に当てた松原(まつばら)が中腰で見ていた。


「ハァ…やられたな、九条(くじょう)」

「気にするな。ノーアウト満塁だが、ここからは安全圏だ」(松原(まつばら)の疲労が、明らかに表へ出ている。だがこれで主軸は終わった)


 そして、ネクストバッターズサークルの神山(かみやま)が立ち上がった。しかし神山(かみやま)は、バッターボックスへ行かずに一塁ベンチへ戻ってきた。


「監督、白城(しらき)を代打に送って下さい。お願いします」


 ヘルメットを外し、頭を軽く下げた神山(かみやま)。腕組みをしていた紀香(のりか)監督は、足を組み換えて目を閉じた。


 すると、カツカツとスパイクの鳴らす音が一塁ベンチ内に響き、その音が紀香(のりか)監督の側で止まった。


 神山(かみやま)をジッと見た白城(しらき)は、大きく息を吸ってフ~ッっと強く吐いた。


 真剣な眼差しの白城(しらき)を見た神山(かみやま)は小さく頷き、白城(しらき)も小さく頷いて応える。


 目を開けた紀香(のりか)監督が白城(しらき)を見上げると、白城(しらき)はグラウンドを見ていた。


 視線に気づいた白城(しらき)が紀香(のりか)監督を見ると、目が合った途端フフッっと静かに笑い、視線を外して再び目を閉じた。


「好きにしなさい」


 それは監督としての言葉ではなく、姉としての想いがつまった優しい声だった。

*1:次が勝負だ!!