自信と覚悟|リミット3話


スポンサーリンク

「ん?監督、上です上~!」

 大の字で天を仰いでいた杉浦(すぎうら)の目が、一奥の投げたボールを捉えた。

(上ですと?)「ハッ!」

 木村(きむら)監督がボールを目で捉えた時、すでにボールは頭のすぐ上を通過しようとしていた。
タイミングは完全に外されたが、木村監督はバットを振り抜いた。

 ポスッ「ストライク、バッターアウト!」

「しゃあ!」

 空振りしたボールは、遠矢(とうや)のミットへ静かに収まった。一奥(いちおく)は左腕を上げガッツポーズ。遠矢はマスクを外して立ち上がった。

「すみません、監督」

「いやいや、まさか天上ボールとは。ホームベースの奥行きを利用した、見事な予告ど真ん中でしたな。」

 ヘルメットを外した木村監督は、久々に投げた天上ボールを確認するようにシャドーピッチングをするマウンドの一奥を見ていた。

「あの様子ですと、一奥には納得のいくボールではなかったようですね。小学生の時は、一奥の得意ボールだったんですけど」

「そうですか……」

 その場にバットを置いた木村監督は、微笑みながら天を見上げた。

「君たちは本当に楽しそうに野球をします。ここ十数年、私は大切な事を忘れていたようですなぁ」


「木村監督……」

 三年後に廃部と聞かされていた遠矢は、西島(せいとう)高校野球部を三十年見てきた木村監督の気持ちが、痛いほど伝わった。

「僕は、木村監督とここで野球したかったです。それが叶わなくて、本当に残念です」

「遠矢君、君たちなら名門と呼ばれた西島(せいとう)を復活できるかもしれません。頑張って甲子園へ行きなさい」


「甲子園ですか……でも、それを次期監督は望んでいないようですけど」

「ホホッ、そうでしたな。ですが、プレーするのは君たちです」

「はい……」

 遠矢の脳裏に、様々な事が浮かんだ。西島高校で木村監督と野球をする為に戻ってきた事。一奥と一緒に甲子園へ行く事。そして、次期監督は素人の女性監督だという事。その先に待つのは、廃部だという事。

 しかし、現実は何一つ叶っていない。遠矢がため息をつくのは必然だった。

「遠矢、何話してんだ?」

「一奥……ううん、何でもないよ」

 
一奥は、木村監督に勝ったテンションそのままにマウンドを降りてホームへ来た。冴えない返事をした遠矢に疑問を持ったが、表情はすぐに戻った。

「ふ~ん。まぁいいや。それより監督、早く続きをやろうぜ!俺はまだ勝ったとは……」

「一奥君……」

 一奥は二人の沈んだ表情から、(これで終わりって事か……)と空気を察した。

「お疲れ様でした、木村監督」

 ホームへ歩いてきた紀香(のりか)が、木村監督に一礼した。

「もう監督ではありませんよ?紀香監督」

「え?この先生が監督なの?」

 木村前監督の言葉を聞いた一奥は、目を丸くして紀香を指差した。一奥と目が合った紀香は、ため息をついた。

「あなた、今頃気づいたの……」

「いや、俺はてっきり理事長の娘とか、セレクション用の偉い先生かと」


「ぷっ……」

「え?」

 混乱する一奥は、目を泳がせた。いつの間にかホームへ集まってきていた野球部員たちは、『アハハ!』と笑った。

「一奥、あなたの感は合格ね」

「じゃあ、本当に監督なの?」


「そっちなの?あなた本当に野球しか頭にないのね」

「へ?」

 再び『アハハ!』と、その場が爆笑の渦に包まれた。

「めんどくさい子ね。私の名前は西島紀香(にしじまのりか)。理事長の娘だし、来年度から三年間この野球部の監督。これでいいかしら?」

「マジかよ……」

 ようやく理解した一奥は驚いたが、すぐに「ま、いっか!」と微笑んだ。その態度に、野球部員たちはずっこけた。

「でもさぁ監督、三年間ってどういう事?なんで廃部なんだよ」

「そうね。これは西島高校の経営問題。三年というのは、都合のいい言い訳よ」

「そっか……」

 紀香は、一奥が一瞬だけ見せた残念がる顔を見逃さなかった。振り返った一奥は、いつもの調子で一塁側へ歩き出した。

「監督。経営の事はよくわかんねぇけど、廃部にならないように頑張ってな。今日は楽しかったよ。遠矢、帰ろうぜ」

「一奥!」

 遠矢は呼び止め、すぐに紀香へ訴えるような目を向けた。一奥の背中へ目を移した紀香は、腕組みをして下を向いた。

「おい、一奥。まだ勝負はついてないぞ」

 紀香の前を、杉浦が横切って一奥を追う。(杉浦君?)と紀香が顔を上げると、『そうだそうだ!』
と次々に野球部員たちが一奥を追った。

(あの子たちまで……)

 紀香は動かない。そのまま一奥を追いかけた生徒たちの動向を見守った。すると、「待て!」と一奥に追いついた杉浦が肩を掴んだ。

「なんだよ、杉浦先輩。そんなに続きがやりたいなら、春から試合で勝負できるだろ?」

「足りないな、それでは足りん。お前とは毎日勝負だ!」

 杉浦は、胸を張ってニヤリと笑った。一奥は、少し困り顔だった。

「毎日?ってさ……そんなの無理に決まってるだろ。俺はセレクションに落ちたんだぜ?高校だって決まってねぇし、忙しいんだよ」

「うるさい。それなら一般受験で西島高校に入れ」

「はぁ?遠矢じゃあるまいし、そんな頭は俺にねぇよ!」

 一奥と杉浦の言い争いが続いていた。野球部員たちは、一奥を一塁ベンチ前で囲みながら様子を伺っている。その時、ホーム付近に残っていた木村前監督が、紀香の隣で立ち止まった。

「どうしますか?紀香監督」

「木村監督……」

 紀香は下を向き、右手を顎に当てた。

(個人的な私の答えは出てる。でも、廃部が決まった監督としての判断では、一奥は必要ない。あの子の影響力は、理事長の決定を変えてしまう可能性があるわ。三年後の廃部が決定事項なのは変わらない。遠矢がいれば、父の意向は達成できるのよ……でも……)

 紀香は目を閉じ、葛藤していた。

(斉藤一奥。この子がいれば、木村監督がおっしゃったように、本当に古豪復活が叶うかもしれない……もし甲子園へ行けるなら……)


遠矢と木村前監督は、紀香が雑念を振り払うように首を振る姿を目にした。

(違う、違うわ。父は野球部再建を望んでいない……)

 その時、困り顔の紀香の耳に、木村監督の一人言が聞こえた。

「先代の理事長……あなたのお爺様から監督の依頼を受けたのは、私が30才の時でしたなぁ」

「木村監督?」

「今の理事長であるあなたのお父様は、私の教え子の中でも特に素晴らしい選手でした。大学で肩を壊さなければ、プロ入りは確実だったでしょうな。その後野球を辞め、あなたと同じように教員になられた。1年後には結婚され、あなたが生まれました。現理事長には、教員当初から私の後任へとの話があったのですよ。ですが、お父様はお断りになられたのです。まだ幼かったあなたが大好きだった西島(せいとう)野球を見せられるのは、私しかいないとおっしゃっていました。とても嬉しく思った事を、今でも鮮明に覚えていますなぁ」

「幼い頃の自分なんて、私は覚えていませんわ……」

 バックネットへ振り返った紀香の仕草は、木村前監督には照れ隠しに見えた。

「私が定年になり、他の誰かではなくあなたに野球部を任せたのは、理事長の親心かもしれませんなぁ。三年後に廃部と決め、後がない野球部をあなたがどうするのかを、理事長は見守りたい気持ちがあるのかもしれません。結果はどうあれ、けじめをつけるならあなたしかいないと、理事長自身が納得出来る理由も、他になかったのでしょうなぁ。」

 バットを拾った木村前監督は、紀香にバットを渡した。受け取った紀香は、両手で握ったバットの先を見た。

(木村監督のおっしゃる通りかもしれない。私自身、三年後の廃部という話でなければ、監督は引き受けなかった。はなから再建しろと父に言われても、私には出来ない。他の監督を招いて再建出来ればいいけど、出来なかった場合を考えると、その負債は大きい。そして現状、再建出来るだけの選手が今の西島(せいとう)には集まらない。事実上、誰が監督でも再建は不可能……)

 紀香は、軽くバットを振った。

(その結果廃部となれば、私は理事長のやり方に不信感を抱く。三年後に同じ廃部でも、私が監督なら周りを説得できる。引き受け手がいなかったと。これが、理事長の立場として父が考えた答え。今の停滞した野球部の為に出来る最善の方法が、私に野球部を任せるという選択……)

 紀香は、バットをグラウンドに叩きつけた。

(私は甘かった。父は全ての可能性に対して、前しか見ていなかった……だとすれば、今の私には自信も覚悟も足りない……)

 紀香はバットを片手に持ちかえ、ヘッド部分を一奥に向けた。

「一奥!待ちなさい。」

限界に挑戦

 一奥(いちおく)と周りにいる野球部員たちがホーム方向へ振り返る。

「今から私と勝負よ。あなたが勝ったら……」

「合格にしてくれるのか?」

 一奥は野球部員たちをかき分け、嬉しそうに前へ出た。

「考えてあげる……」

「なんだよそれ」

 残念そうに言いながらも、一奥はマウンドへ歩き出した。

「でも、野球ならやるぜ!」

 一奥はパンパンとグローブを叩いた。そしてグラウンドを見渡した紀香(のりか)は、子供の頃の記憶を思い出していた。


(このグラウンドでは、今の一奥(あのこ)のように西島(せいとう)の選手がいつも楽しそうに野球をしてた。笑いあったり競いあったり、時には涙したり。そんな選手たちが、私には輝いて見えた……)

 バッターボックスへ入る紀香に、木村前監督はヘルメットを両手でそっと渡した。微笑みながらヘルメットを被る紀香に合わせるように、キャッチャーの遠矢は座った。そして木村前監督は、足下に落ちていた審判用の面を拾って顔に装着した。

「紀香監督、私が審判でよいですかな?」

「木村監督……感謝します」

 マウンドを見た紀香と一奥が向かい合う。真剣な顔でバットを構えた紀香だったが、その姿は誰が見ても素人丸出しだった。

「さぁ来なさい!一奥」

「あぁ、いくぜ!監督」

 一奥が投球モーションに入ったその時だった。

「ちょっと待て、一奥!」

「あぁぁぁっとっと」

 一奥は、突然聞こえた杉浦(すぎうら)の声につまずいた。一塁側へ向けた顔は、邪魔するなよと言わんばかりの表情だった。

「なんだよ杉浦先輩」

「なんだよじゃねぇ。お前、監督の構えを見てわからないのか?」


「わからないって、なにが?」

「ド素人って事だよ!」

 叫んだ杉浦を、紀香が「杉浦君!」と構えながら睨んだ。

「はいっ!」

「いいから黙ってなさい!」

「すっ、すみません!」

 直立して頭を下げた杉浦の姿を見たマウンドの一奥(いちおく)は、あまりの態度の違いに笑っていた。

「杉浦先輩、怒られてやんの。じゃあ監督、今度こそいくぜ!」

 ゆったりと振りかぶる一奥とは対照的に、紀香はガチガチに力が入っていた。すると一奥は、ヒョイっとキャッチボールのような山なりのボールを投げた。バッターの紀香は見送り、審判を務める木村前監督は「ボール」と宣言した。

「ちょっと待て!一奥」

「その声は杉浦先輩だな!」

 再び杉浦が叫ぶが、一奥は微笑みながら杉浦の怒っている姿を目にした。

「当たり前だ。っていうかお前、真面目に投げろよ!」

 収まらない杉浦に、一奥は首をかしげた。

「俺は真面目にやってるけど……」

 返球を捕った一奥は、頬をかきながら上を見た。

「杉浦君!勝負の最中よ」

 紀香の声に一奥は微笑み、怒鳴られた杉浦は「はいっ!」と再び直立した。

 二球目、一奥は同じ球を投げた。紀香は再び見逃し、遠矢のミットがパスッと音を立てた。木村前監督の「ストライク」の声に、一奥は「へへっ」と笑った。

(思った通りね……)

紀香もニヤリと笑い、横目で見ていたキャッチャーの遠矢(とうや)は苦笑いをしていた。

 三球目、一奥はスローカーブを投げた。ブンという空振りと共に、「ストライクツー。ワンボールツーストライクですな」と木村前監督が呟いた。

「当たらない……追い込まれたわね」

 紀香はホームベースにバットのヘッドを置いた。

「監督、後がありませんよ?」

「遠矢。これが私の限界なの?」


「違いますね」


微笑んだ遠矢を見た紀香は、ニコリとして再び構えた。

「そう、安心したわ」


「おい遠矢!監督でもサイン教えるなよ」

 一奥の強い口調に、遠矢は右手を軽く上げて応えた。

「わかってるよ。それと一奥、次は気をつけた方がいいよ?」

 その忠告に、一奥はニヤリと微笑んだ。

「どうもそうらしいな」

 一奥が四球目の投球モーションに入る。

「でも俺は……俺だからなっ!っと」

 勝負球は、初球と同じフワリとしたボール。そして紀香がスイングに入った。

(やっぱり……)「えーぃ!」

 波打つ紀香のバットが、ボコッと音を立てた。「当たった!」と喜んだ紀香と一奥は、フラフラっと上がった打球を目で追った。

「つまった!セカンドだ!」

 一奥が振り返ると、セカンドが一塁ベース後方の打球を追っていた。しかし決死のダイビングは及ばず、紀香のフライはポテンと落ちてヒットとなった。

「やった!」

「くっそぉ!俺の負けだ」


 紀香はバッターボックス上で両手を上げ、喜んだ。一奥はグローブをマウンドへ叩きつけたが、なぜこんなに一奥が悔しがるのか、一部始終を見ていた野球部員たちには訳がわからなかった。

 これは、一奥にとって正真正銘最期のチャンス。負けたら不合格だというのに、素人とはいえ紀香にあのキャッチボールのような球はない。普通に投げれば楽々勝てるのに……

 皆そう思ったが、一奥はそうしなかった。しかしその動機がわかっていたからこそ、紀香は一奥との勝負に勝ったのだった。

「遠矢」

「はい」

 紀香は、バッターボックスにバットとヘルメットを置いた。

「西島(せいとう)のユニフォームを着て、もう一度このバッテリーで限界に挑戦しなさい」

 紀香はグラウンドを去った。遠矢は後ろに立つ木村前監督と微笑み合うと、勢いよくマウンドへ走った。遠矢は嬉しさのあまり一奥に抱きつくが、「遠矢?」と負けた一奥は状況がわからない。

「おい一奥、明日も来い!勝負だ!」

 杉浦が嬉しそうに一塁ベンチから一奥を指差した。

「はぁ?何言ってんだよ杉浦先輩。来るわけないだろ」

 面白くなさそうな一奥から離れた遠矢は、ニヤつく杉浦に微笑みを送った。

「遠矢、一奥も合格だよな?」

「はい!」

 元気に返事をした遠矢に、一奥は「えぇー?」と驚いた。

「本当か?遠矢。俺たち合格なのか?」

「うん。監督はそう言ってたよ」

 一奥は遠矢を見ながら、徐々に目を大きくした。

「やったぜ!よくわかんねーけど受かっちまったぁ!」

 何度もジャンプしながら喜ぶ一奥の下に、杉浦が近づいてきた。

「そういうことだ!一奥。だから明日も来い」

 喜び終えた一奥と遠矢が見つめ合う。そして同時に杉浦を見ると、『アハハ』と笑いだした。

「なんなんだ……」

 杉浦は、ひたいを汗に唖然とした。固まっている杉浦の横を、一奥と遠矢は一塁ベンチへと歩き出した。遠矢はプロテクターを外しながら、一奥とニコやかに歩く。杉浦はその後ろ姿を見ていたが、段々怒りがこみ上げてきた。

「お前ら聞いてるのかー!」

 しゃがんでレガースを外す遠矢の下へ、杉浦が走ってきた。

「杉浦先輩」

 遠矢の隣に立つ一奥と目が合うと、杉浦は立ち止まった。

「俺たちはまだ中学生だぜ?半年鍛えて来るから待ってろよ。行こうぜ!遠矢」

「うん。では先輩、そういうことですので」

 一奥と遠矢は、一塁ベンチ前で頭をグラウンドへ下げた。 

「うるせー!テメーら半年も勝ち逃げする気か!」

 杉浦の怒鳴り声がグラウンドに響く。

「遠矢、逃げるぞ!」

「だね」

 一奥と遠矢はベンチを出た。そのままバックネット裏を走り、階段を登っていった。

「待てコラー!」

 肌寒くなった夜に、二人の笑い声と杉浦の怒鳴り声がこだまする。そして杉浦同様、三人のやり取りを見ていた野球部員たちの活気ある声は、ここ十数年なかったものだった。

 結果セレクションで選ばれた来年度の一年生は、一奥と遠矢のバッテリーのみ。しかし、この決断の裏には車に乗って帰宅する紀香の決意が込められていた。

(どこまで行けるかわからない。私たちは、限界に挑戦するチャレンジャーね……)

 紀香監督の運転する赤のスポーツカーが、猛スピードで道路を走る。そして時は、入学の春を迎えようとしていた。