リミット3話 セレクション終了。そして……

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 紀香(のりか)の視線がマウンドの一奥(いちおく)にそそがれる。彼女は冷たく直感した。この勝負、バッテリーの勝ちね……と。

 そして、投じられた三球目が予告通りインハイを襲う。ニヤリと笑ったバッターの杉浦は、「もらったぁ!」と強振した。

 バシィ!「なっ!?」

 空振りした杉浦が、呆然としながらキャッチャー遠矢(とうや)のミットを見る。その直後「ストライク、バッターアウト!」と、球審を務める野球部員の声がグラウンドに響いた。

「よっしゃあ!ナイスリードだ、遠矢」

 一奥は左腕を振り上げ、その姿に振り向いた杉浦はムッとした。再び杉浦が遠矢を睨みつけると、溜まっていた怒りを爆発させた。

「お前、今のはスプリットじゃないか!」

「すみません。球種は聞かれなかったので……」

 笑顔の遠矢に反省の色はない。これはセレクションであり、確実に三振を奪う為の駆け引きだったからだ。怒鳴った杉浦も結果には納得していたが、変化球だったのが気に入らなかった。


「く……くそぉ!」

 バットをグラウンドに叩きつけ、三塁ベンチへ戻る杉浦の姿に、紀香は彼が本気で三振した結果に満足した。スッと立ち上がると、そのままゆっくりホームへ歩きだした。

「先生。四番を三振にしたんだ。今度こそ合格だろ?」

紀香はマウンドの一奥をチラッと見たが、止まる事はなかった。

「セレクションは終了よ。交代しなさい」

「ふ~ん、まぁいっか」

 一奥は、ニコニコしながら一塁ベンチの隅に並ぶセレクション生の元へ歩き出した。紀香はホームに着くと、遠矢の前で足を止めた。

「遠矢」

「はい」

「あなたにセレクション合格を言い渡すわ」

「そうですか。ありがとうございます」

 遠矢に喜ぶ様子はなく、平然と一礼した。その目がマウンドを降りる一奥の背中を見ていると、それに気づいた紀香が振り返った。

「そんなに一奥が気になる?あなたのリードなら、投手は関係ないと思うけど?」

「そうですね。多分三回戦程なら……」


「遠矢、ウチはそれで十分よ?」

「え?僕は甲子園に行くつもりなんですけど」


「甲子園?プッ……フフフッ」

 紀香は口を押さえ、遠矢は口を丸くした。

「あなた何を言っているの?この野球部はあなたたちの代で廃部。甲子園なんて行かなくていいわよ」

「そうなんですか……」

 遠矢は下を向いた。

「さ、セレクションを続けるわよ」

 紀香は一塁ベンチへと歩き出した。

「遠矢はそのままキャッチャー。次のピッチャー希望の選手はマウンドへ行きなさい。誰でもいいわよ」

 紀香の指示に、誰も前へ出ようとしなかった。横に並ぶ十数人のセレクション生たちは、目を合わせてそわそわしていた。

「なぁ、先生の声が聞こえなかったのか?誰か早くマウンドへ行けよ。」

「だってさ……」

 一奥の声に、隣にいた少年が下を向く。辺りにいるセレクション生たちも、複雑な面持ちだった。

「一奥……だっけ?お前は知らないのか?西島高校は、俺たちの代で廃部らしいんだよ……」

「廃部?なんだよそれ」


「何だって言われても……。お前が投げてる間、俺らは先輩たちの会話を聞いたんだ。先のない野球部に入っても、意味なんかないよ……」

 異変に気づいた紀香は、一塁ベンチの前で足を止めた。

「だからなんだって聞いてんだよ。お前ら何しに来たんだ。廃部ならセレクションを受けてもしょうがないって言いたいのかよ!」

 体を震わせ、セレクション生たちは言葉を失った。一奥は怒りをあらわにし、勢いよく振り返ると紀香の下へ歩き出した。

「先生!俺の結果はまだだよな?俺は合格を貰うまで辞めねぇ。相手がいないなら先生でも監督でもいい。誰でもいいからバッターボックスに立たせろよ!」

 一奥と紀香が睨み合う。だが紀香は、「フッ……」と表情を緩めてホームを見た。


「遠矢、この子はバカなの?私は野球をルールしか知らないのよ?素人の私が打っても、セレクションにならないわよね?」

「そうですね……」

 苦笑いの遠矢。そして、今度は紀香が怒りをあらわにした。

「全く……木村監督。申し訳ありませんが先に帰らせて頂きます」

「紀香先生……」

 木村監督の声も聞かず、紀香はため息をつきながら三塁側へ歩を進めた。
 
「遠矢!」
 バシッ!

 一奥の叫び声の後、遠矢のミット音が気持ち良さそうに鳴り響いた。ホーム付近で立ち止まった紀香は、ボールを捕った遠矢の向こう側にいる一奥の笑顔を目にした。

「先生!帰るなら俺が投げてもいいよな?」

 呆れた紀香は目を閉じた。

「遠矢。一奥はセレクションが終わっているのを理解してるわよね?」

「先生。今の一奥は、多分忘れてると思います。ただ野球がしたいだけの、野球バカです。それにしても、今の一球は痛かったなぁ……」

 遠矢は、ミットを外して左手を振った。

「そんなアピールをしても、私は一奥を認めないわよ?」

「あ、いえ。そんなつもりはありませんから」

 再び一塁ベンチへと振り返った紀香は、自然に笑みをこぼした。

(野球バカ……か)

「なにこそこそしゃべってんだよ!なぁいいだろ?先生。俺は投げたいんだよ」

「わかったわ。好きにしなさい」


「マジで!よっしゃあ!」

 ベンチへ戻る紀香と一奥が交差する。嬉しそうな二人が互いの居場所に着くと、再び野球が始まった。

「よ~し。誰でもいいからかかって来い!」


「なら俺が相手だ!」

「また杉浦(あんた)かよ!」


 一奥と杉浦のやり取りに、ベンチに腰かけた紀香は「フフフッ」と無心で目を輝かせていた。その変化に、木村監督はつい微笑んだ。

(もしかすると、彼女は廃部どころか甲子園にいるかもしれませんなぁ)

 二人の間に言葉はなく、ただただ目の前で野球を楽しんでいる生徒たちを見ていた。そこにあったのは、ここ数年も目にすることがなかった、生徒たちが純粋に野球で遊ぶ姿だった。

 この日セレクションに集まったのは、約50人の中学生。しかし、紀香が不合格を言い渡した生徒はゼロだった。廃部を知ったセレクション生たちは、自らの判断で次々にグラウンドを去って行った。

 古豪とはいえ、次期監督はルールしか知らない若い女性で三年後には廃部。夏も秋も一・二回戦ボーイの高校に入っても、未来ははないとの判断だった。

 結局セレクション生でグラウンドに残ったのは、暗くてボールが見えにくくなっても野球を続けていた一奥と遠矢の二人だけだった。

「そういえば紀香先生」

「はい、なんでしょうか?」

 紀香が終わりを告げようとしたその時、木村監督が口を開いた。

「セレクション自体は、まだ終わってませんでしたなぁ……」

「木村監督?」

紀香が左へ向くと、ベンチの入り口にいた笑顔の生徒と木村監督が頷き合っていた。

「いっくぜー遠矢!」

「一奥、待った!」


「どうした?」

 一奥は投球動作を止め、遠矢はマスクを外して立ち上がった。

「僕にはもう、暗くてボールが見えないよ。それに……」

「ん?」

 三塁側ベンチを見た遠矢の視線を追う一奥。そこには、大の字でグラウンドに倒れる先輩や、ベンチでへたれこむ先輩たちの姿があった。それを見た一奥は、思わず苦笑いをした。

「あ!そういえばセレクションはどうなったんだ?」

 野球に夢中になっていた一奥が、一塁側ベンチを見た瞬間だった。

「うおっ!」

 突然一奥の目に照明が入り、グラウンドが煌々と照らされた。すると、明るさに慣れた一奥の目に映ったのは、バットとヘルメットを持つ木村監督の姿だった。その足は、バッターボックスへ向かっていた。

「へへっ。やっと出てきたぜ」

 笑った一奥に、木村監督は笑みを返した。

「一奥君、まだ投げられますかな?」

「当たり前だ!……けど、俺のセレクションはもう終わってるよね?」

「その通りですなぁ。」

「アハハ!そりゃそうだ。俺ムチャクチャやっちゃったもんな……で?」

 一奥が嬉しそうに、バッター右ボックスへ立った木村監督を見つめる。足場を固めた木村監督は、「さてと……」と呟いた。

「ようやくタヌキ監督が、先輩たちの敵討ちに来たって訳だな」

「ほぉ?私は野球をしに来ただけですぞ?」

「へ?」

 急に気を抜いた木村監督の態度に、気合いを入れ直した一奥は拍子抜けした。

「とはいえ、君たちが全くヒットを許さなくなりました。一奥君、タヌキはタヌキですが……」

 木村監督が構えた。その姿に、一奥と遠矢は眉を上げた。

「ヒットは打つかもしれませんなぁ……」