やられたらやり返せ|リミット29話

 ネクストバッターズサークルに座る仟(かしら)の頭の中は、遠矢(とうや)の言葉でいっぱいだった。


(遠矢(とうや)さんに策はない……。逆転した木村(きむら)監督は、負けた事がない。点差は3……)


「ファール、バッターアウト」

「え?要(かなめ)?」


 驚いた仟(かしら)が数回まばたきを繰り返す中、要(かなめ)がバッターボックスを後にした。要(かなめ)はくのいち打法で食らいついていたが、インコースのスライダーをカットした際、左手をバットに滑らせ握ってしまっていた。仟(かしら)が要(かなめ)に近づくと両要(かなめ)は苦笑いをした。


「ごめん、仟(かしら)。バント扱いになっちゃったみたい」

「そっか……」


 二人は、止まることなくすれ違った。怒られると思った要(かなめ)は、様子が違う仟(かしら)に思わず振り返った。


「ん?仟(かしら)?」


 首をかしげ、ベンチへ戻る要(かなめ)の声に振り向くことなく、仟(かしら)は心あらずといった表情でバッターボックスへ向かって行った。


(あの格言は、攻撃だけじゃない。木村(きむら)監督が逆転したという事は、もう逆転されない確信があるという意味……)


 打席に立った仟(かしら)は、無表情のまま空振りを繰り返した。キレが増す松原(まつばら)のボールに、三球目もあっさり空振りした。


(ダメだ……この四択を、どうすれば打てるのかわからない。やっぱり私の限界は、木村(きむら)監督に読みきられている……)


 落胆しながらベンチへ下がる仟(かしら)に、ネクストの神山(かみやま)が声をかけた。


「気を落とすな、仟(かしら)。俺は諦めない」

「神山(かみやま)さん……」


 バッターボックスへ向かう神山(かみやま)の背中を見送り、仟(かしら)は頭を下げてベンチへと歩き出した。


(この試合に負ければ、西島(せいとう)野球部は夏で廃部。神山(かみやま)さんの言う通り、諦める訳にはいかないのに。……でもどうすればいいの?)


 ベンチへ座っても元気のない仟(かしら)に、隣へ来た一奥(いちおく)が声をかけた。


「仟(かしら)。ここは右のくのいち打法が見たかったぜ!」

「それは出来ませんから……」


「そうなのか?まぁ、なんとなく左の方がカッコイイからいいけどな!」


 笑顔で話す一奥(いちおく)を見ても、仟(かしら)の表情は絶望のままだった。すると、反応が薄い仟(かしら)に一奥(いちおく)は「ん?」と首をかしげた。


「どうした?仟(かしら)。元気ないな」


 空気の読めない一奥(いちおく)に、仟(かしら)は声をあらげた。


「それは私が聞きたいです!この状況で、どうして一奥(いちおく)さんはそんなに余裕なのですか!」


 おもわず立ち上がった仟(かしら)は、ベンチに座って「すみません……」と呟いた。ビックリした一奥(いちおく)だったが、謝った仟(かしら)の態度につい微笑んだ。


「なぁ仟(かしら)。また逆転すればいいんだろ?試合は終わってない……」
「終わってます……」

「へっ?終わってる?」


 地面に向かって呟いた仟(かしら)に、一奥(いちおく)は顔をしかめた。


「どういうことだよ?仟(かしら)、説明してくれよ」

「はい……。木村(きむら)監督は、監督が動いて逆転した試合で負けた事がないのです」


「本当かよ!あの木村(タヌキ)監督、やっぱただ者じゃないな」

「はい……。そして、逆転の策が西島(ウチ)にはありません」


「策がない?策ねぇ……う~ん」


 一奥(いちおく)は腕組みをして考え始めた。


「あ!」

「何か閃いたのですか?」


「俺はそういうタイプじゃなかったのに気づいた!アハハ」

「もう、期待しちゃったじゃないですかぁ……」


「なぁ仟(かしら)」


 一奥(いちおく)は、笑顔でグラウンドを見つめた。


「策はないけどさ、期待ならしてもいいかもな!」

 カキーン!

「え?」


 快音を聞いた仟(かしら)がグラウンドに目をやると、神山(かみやま)の打球がセンター前に抜けていった。


「よっしゃー!」
「抜けたー!」
「ナイスバッティング!」


 ベンチが盛り上がる中、一奥(いちおく)はニヤリと笑った。


「な?まさかの神山(かみやま)先輩が打っただろ?」

「一奥(いちおく)さん、神山(かみやま)さんは何かしたのですか?」


「何もしてないと思うけどな。バット出して、食らいついただけじゃねぇか?」

「それだけ?ですか?」


 すると、無言のままジッとグラウンドを見つめていた遠矢(とうや)が口を開いた。


「一奥(いちおく)の言う通りだよ、仟(かしら)」

「遠矢(とうや)さん」


 隣へ振り向いた仟(かしら)に、遠矢(とうや)はマウンドの松原(まつばら)を見ながら微笑んだ。


「木村(きむら)が動けば試合が決まる。それが今までのチームが超えられなかった限界なら、みんなで挑戦しようよ」

「いいねそれ。やろやろ~!」


 三人の後ろに座っていた要(かなめ)がベンチの背もたれに腕をクロスさせて顎を乗せ、ニコリと遠矢(とうや)と仟(かしら)の間に顔を出した。


「じゃあ今日からは、木村(きむら)が動けば試合が決まる、かっこ西島(せいとう)高校以外に変更しよ~!」


 立ち上がった要(かなめ)は、仟(かしら)にブイサインを送った。


「要(かなめ)……」


 仟(かしら)の顔にやる気が戻り、握った右手を引き寄せながら要(かなめ)に大きく頷いた。


「うん、そうだね!」


 すると、一奥(いちおく)が突然笑い出した。


「アハハ。そうか仟(かしら)、お前遠矢(とうや)に騙されたんだろ?」

「一奥(いちおく)さん?それどういう意味ですか?」


「まぁ、仟(かしら)も遠矢(とうや)も頭いいけどさ、遠矢(とうや)はズル賢いんだよ」

「よくわかりません……」


 首をかしげた仟(かしら)に、遠矢(とうや)が話し始めた。


「仟(かしら)。僕は仟(かしら)に策があるのか聞かれただけだよね?だから策はないって言ったんだけど……。あ、逆転できるとも言ってなかったね……」

「アハハ!そうだと思ったぜ」


 ふざけた様子の遠矢(とうや)と一奥(いちおく)に向かって、立ち上がった仟(かしら)は照れ隠しするように叫んだ。


「二人ともドS過ぎです!」


「仟(かしら)?どうしたの?」


 バッターの杉浦(すぎうら)が追い込まれる中、試合を見ていた紀香(のりか)監督が、大声を出した仟(かしら)にキョトンとした顔で話しかけた。


「すみません監督……なんでもありません……」


 仟(かしら)は顔を真っ赤にしながら頭を下げ、再びベンチへと座った。すると、一奥(いちおく)と遠矢(とうや)に挟まれている仟(かしら)の両耳に、二人の会話が入った。


「遠矢(とうや)、木村(きむら)監督は追加点が入ると思ってるかな?」

「どうかなぁ?でも木村監督は六回に動いたからね……」


 仟(かしら)が二人を交互に見る。


(一奥(いちおく)さんと遠矢(とうや)さんは、何を言ってるの?)


 仟(かしら)は黙って聞いていた。


「梯(あいつら)の限界、初回で把握してたんだろ?」

「一奥(いちおく)は言葉が悪いよ。僕は木村(きむら)監督と勝負したかっただけ。付き合わせて悪かったけどね」


「そんなことないさ。俺は遠矢(とうや)と木村(タヌキ)監督の化かし合いが楽しかったしな」

「そう?連打を浴びた一奥(いちおく)は、かなり我慢してるように見えたけどなぁ……」


「そうかな?」 


『アハハ!』


 会話を聞いていた仟(かしら)の表情が、徐々に真剣みを帯びてきた。


(わからない……この二人は何をしていたの?)


「ストライクバッターアウト!チェンジ」


 球審の声に、一奥(いちおく)と遠矢(とうや)が立ち上がった。


「あらら。杉浦(すぎうら)先輩はやられたか」

「僕も木村(きむら)監督にやられたからね。まずは守りでやり返すよ」


「じゃあ、そろそろこっちも限界突破だな?」

「もちろんさ、一奥(いちおく)」


 ニコニコしながらベンチを出た二人に、立ち上がった仟(かしら)が叫んだ。


「ちょっと待って下さい!」

「ん?この台詞は杉浦(すぎうら)先輩?」


「一奥(いちおく)さん、私は女です!あんなにゴツくはありません!」


 そこへ、三振して不機嫌な杉浦(すぎうら)が戻ってきた。


「なんだ?仟(かしら)。俺の文句か?」

「杉浦(すぎうら)さん、今は邪魔です!」

 ドン!
「うおっ?」


 仟(かしら)は杉浦(すぎうら)を両手で突き飛ばし、杉浦(すぎうら)は尻餅をついて驚いた。


「なっ!なんだぁ?」


 キョトンとする杉浦(すぎうら)。仟(かしら)はそのまま駆け出し、マウンドへ歩く二人に追いついた。


「一奥(いちおく)さん、遠矢(とうや)さん。もう策なんて言いません。この試合、逆転できますか?」

「あぁ」
「うん」


 二人の返事に仟(かしら)が笑顔で応じると、走ってきた要(かなめ)が勢いそのままに、後ろから仟(かしら)に笑顔で抱きついた。


「えへへ」

「ちょっと、要(かなめ)」


 二人が目を合わせていると、その視界に一奥(いちおく)が前に出したグローブが目に入った。


「仟(かしら)、要(かなめ)!行くぜ!」

「はいっ!」
「イケイケ~!」


 遠矢(とうや)もミットを出し、グローブを合わせた四人はそれぞれの守備位置へ走った。

ダボダボのユニフォーム

 試合は終盤七回へ突入。

 梯(かけはし)高校八番の四本(よつもと)が打席に立つ中、三塁ベンチの九条(くじょう)はニヤリとキャッチャーの遠矢(とうや)を見ていた。


(宣言通り、この七回に来るのか?遠矢(とうや))


 そしてマウンドの一奥(いちおく)が振りかぶる。勢いよく投げた一奥(いちおく)のストレートに、九条(くじょう)は興奮した。


 四本(よつもと)は空振りしたが、梯(かけはし)ナインの心はワクワクするような明るい表情を見せていた。


 ベンチに座り、笑顔で一奥(いちおく)を見つめるメンバーを横目でニコリと確認した九条(くじょう)は、返球を受けた一奥(いちおく)に目を移した。


(これだ。俺たちのよく知る一奥(いちおく)本来の球。そして、一番打ちたかった球だ!)


 一奥(いちおく)はチラッと三塁ベンチの様子を見ると、ニヤリと笑ってホームを見つめながら振りかぶった。


「ドンドン行くぜ!四本(よつもと)」


 ズバーン!
「ストライクツー」

「くそっ」(やはり一奥(いちおく)の球が生きてる)


 スライダーを空振りした四本(よつもと)は、追い込まれたにもかかわらず笑みを浮かべた。


 遠矢(とうや)のリードに、一奥(いちおく)は頷くと同時に振りかぶる。そして三球目が投じられた。


「ストライクバッターアウト!」


 ストレートに空振り三振。だが四本(よつもと)は、悔しさよりも喜びに震えていた。


「一奥(いちおく)、次は打つからな!」

「あぁ、四本(よつもと)。楽しみに待ってるぜ!」


 見事な一奥(いちおく)の投球を見た木村(きむら)監督は、斜め前に座る九条(くじょう)に声をかけた。


「二回からここまで、この一奥(いちおく)君を引っ張り出すまでに時間がかかりましたなぁ。九条(くじょう)君。もう七回ですが、ギリギリ間に合いましたかな?」


 振り向いた九条(くじょう)は、満足そうに木村(きむら)監督を見た。


「えぇ。木村(きむら)監督がいなければ、俺たちは得るものもなく遠矢(とうや)に騙されて終わりだったでしょう。感謝しています」


 再びグラウンドへと振り向いた九条(くじょう)の背中に、木村(きむら)監督も満足そうに笑みを浮かべた。


(本当なら、君たちは二回からこの姿のバッテリーと勝負ができるはずでした。ですが、さすがは遠矢(とうや)君でしたなぁ。私が動くのを常に警戒していました。その結果、遠矢(とうや)君は復活した一奥(いちおく)君の気持ちを抑え、まずは私との勝負に出ました。おそらくごまかせるのは六回までと、遠矢(とうや)君は計算していたのでしょう。私はなんとか五回までに遠矢(とうや)君の作戦を攻略できましたが、六回で間に合ったのかはわかりません。一イニングでも早くバッテリーを今の姿にしなければ、この試合は勝てません。初回の最後にそう感じたとはいえ、本当の勝負はここからですな)


「九条(くじょう)君、今日の私の仕事は終わりました。3点差とはいえ、ここからは本当に君たち次第ですな。梯(かけはし)ナインも力を見せる。これが、今の私の作戦ですから」


「任せて下さい、監督。この試合、絶対に勝ちます」

「ホホッ、そうですか」 (見てますか?西島(にしじま)理事長……いえ、西島(にしじま)君。ここからは、紀香(のりか)監督を含めたみなさんで、野球バカ同士のドリームマッチ観戦と行きましょう)


 ゆっくりベンチに腰を降ろし、大役を果たした木村(きむら)監督は満足していた。


「ストライク、バッターアウト!」

(なんだ!この球は。全中の時とは別人じゃないか!)


 九番の松原(まつばら)が、驚きながら空振りした。三振に倒れ、打順は一番の五十嵐(いがらし)へ。


 悔しがる松原(まつばら)とすれ違った五十嵐(いがらし)は、打席に向かいながら一奥(いちおく)を嬉しそうににらんだ。


「おい、一奥(いちおく)。俺はツーベースでサイクルヒットだと知ってるか?」

「知らねぇなぁ。それより五十嵐(いがらし)。ツーベースってのは、三回空振りする事なのか?」


「バカ野郎が!」


 五十嵐(いがらし)がバッターボックスに立った。


「美人セカンドをスカウトするって事だよ!」


 気合いの表情で構えた五十嵐(いがらし)に対し、一奥(いちおく)は「へへっ」と笑って振りかぶった。


「そっか。お前に仟(かしら)はやれねぇって事か!」

「ストライク」


(なっ……はえぇ)


 五十嵐(いがらし)が、ど真ん中のストレートを空振りした。驚いた後、眉間にシワを寄せて一奥(いちおく)をにらみながら構えた。


 一奥(いちおく)は、楽しそうに余裕の姿で振りかぶった。


「悪いな五十嵐(いがらし)。スカウトのチャンスは後1回に変更だ!」


 一奥(いちおく)が二球目を投じた瞬間、五十嵐(いがらし)の眉が上がった。


「なにぃ?」 (スローカーブ!しまっ……バットが止まらねぇ)


 打球は、当てただけのセカンドゴロ。


「アウト、チェンジ」


「くっそぉ!打たされたぁ」


 悔しがりながらベースを駆け抜けた五十嵐(いがらし)に、一奥(いちおく)は笑顔を向けた。


「五十嵐(いがらし)。ツーベースってのはセカンドゴロだったんだな?仟(かしら)には、いいプレゼントだったわ」


「うるせぇ!一奥(いちおく)。もう一打席勝負だ!」

「何回でも来いよ!待ってるぜ」


 ファーストの杉浦(すぎうら)からボールを受け取った一奥(いちおく)がマウンドにボールを落とした。


 ランニングで一塁ベンチへ下がる途中、ゴロをさばいた仟(かしら)が笑顔で一奥(いちおく)の隣に来た。


「一奥(いちおく)さん、ナイスピッチングです!」

「仟(かしら)?五十嵐(いがらし)のプレゼントがそんなに嬉しかったのか?」


 仟(かしら)は首をかしげた。


「なんですか?それは」

「アハハ!五十嵐(いがらし)がさ、セカンドゴロのツーベースだってよ」


「はい?」


 仟(かしら)は訳がわからない顔をしているが、一奥(いちおく)は上機嫌だった。


 その姿を、歩いてベンチに戻るキャッチャーの遠矢(とうや)が満足そうに見ていた。


(さすが一奥(いちおく)。僕のリード通りに、梯(かけはし)打線の限界をミスなく投げてくれる。強打者相手に投げるのは、今の実力になって初めてなのにね……)


 ベンチに着いた遠矢(とうや)は、楽しくて笑いが止まらない一奥(いちおく)の側にきた。


「どうかな?一奥(いちおく)」

「楽チン楽チン。やっぱり遠矢(とうや)がキャッチャーだと面白れぇよ」


「それは僕も同じさ。やっぱり一奥(いちおく)の球は面白いよ」


 ベンチ前で笑顔で話す二人の会話を聞いていた紀香(のりか)監督は、遠矢(とうや)を見ながらセレクションでの遠矢(とうや)を思い出していた。


(今の遠矢(あのこ)を見ていると、本当にアメリカで退屈していたのがわかるわね。相性とでもいうのかしら……ピッチャーとしてのタイプが違うのね。力強いアメリカの投手の球と、切れ味鋭い一奥(いちおく)の球。アメリカでの経験があるから、その違いがリードに生きるのね)


 すると、ピッチングに夢中だった一奥(いちおく)が思い出すように口を丸くした。


「で、この回誰からだっけ?」


 その声に、ヘルメットをかぶってバットを握った村石(むらいし)がムッとして一奥(いちおく)に振り返った。


「こら!一奥(いちおく)。お前の愛人の俺からだ!」

「愛人?村石(むらいし)先輩がか?」


 驚いた一奥(いちおく)の顔に、村石(むらいし)は「ムフフ……」と笑った。


「だってそうだろ?俺は控え女房(キャッチャー)だからな」

「なるほど!」


 一奥(いちおく)は閃いたように微笑んだが、すぐに苦笑いをした。


「それならさー、あんまり目立つことしない方がいいんじゃないの?ほら、例えばヒットとかさ」

「はぁ?見てろよ!一奥(いちおく)。愛人のテクニックはスゲェんだぞ?」

 村石(むらいし)は、バッターボックスへ向かって行った。


「さぁ、恋や!来いや!」


 叫びながら元気に構えた村石(むらいし)の姿を、ホームへ座っているキャッチャーの九条(くじょう)がサインを出しながら見ていた。


(五番からか。松原(まつばら)、適当に遊んでやれ)

(オッケー、九条(くじょう))


 ピッチャーの松原(まつばら)が、サインに頷いて振りかぶる。バッターの村石(むらいし)は、タイミングを合わせて左足を上げた瞬間に叫んだ。


「うぉーりやー!」

「おぉ!これが愛人のテクニックかぁ?」


 その豪快な打撃フォームに、ベンチの一奥(いちおく)が興奮した瞬間だった。


 ポコン……


 バントした村石(むらいし)の姿に、一奥(いちおく)は苦笑いをした。


「って、セーフティバントかよ。勝てないって認めてるじゃん……」


 ピッチャー正面に転がった打球を難なく松原(まつばら)がさばく。期待を裏切られた一奥(いちおく)は、両手を後頭部に回した。


「あ~、余裕でアウトだし」

「一奥(いちおく)。だから愛人なんじゃないの?」


 グラウンドを見つめる遠矢(とうや)の声に、一奥(いちおく)が振り向いた。


「おぉー!さすが女房。上手い事言うなぁ」

「そうかな?」


『アハハ!』


「もう……二人とも、ふざけてないで逆転して下さい!」


 立ち上がった仟(かしら)が、笑う一奥(いちおく)と遠矢(とうや)の前に立った。仟(かしら)の呆れ顔に、遠矢(とうや)は笑みを返した。


「大丈夫だよ仟(かしら)。八回から行くからね」


 危機感のない遠矢(とうや)の声に、仟(かしら)は呆れたまま遠矢(とうや)の隣に座った。


「遠矢(とうや)さん。私は段々不安になってきました。本当に逆転できるのですか?」

「なら仟(かしら)、証拠を見せようか?」


 下を向いていた仟(かしら)が、ムクッと顔を上げて隣の遠矢(とうや)を見た。


「証拠?ですか?」

「うん」


 遠矢(とうや)は、不安がる仟(かしら)に耳打ちした。すると突然、仟(かしら)が「ええっ?」と大声で驚いた。


 その声に、側に座っている紀香(のりか)監督が振り向いた。


「仟(かしら)?どうしたの?」


 目を丸くしたまま、仟(かしら)は紀香(のりか)監督を見た。


「監督……今、遠矢(とうや)さんが……」


 遠矢(とうや)が仟(かしら)の隣で大人しく笑う中、紀香(のりか)監督と目が合った仟(かしら)は頬を赤らめながら目を逸らして下を向いた。


「すみません……。監督、何でもありません」

「そっ……」


 すると遠矢(とうや)は、要(かなめ)を呼んだ。手招きされた要(かなめ)が遠矢(とうや)の前に中腰で立った。


「なに?遠矢(とや)くん」


 すると遠矢(とうや)は、二人だけに聞こえるようにささやいた。その言葉に要(かなめ)は「お?」と笑顔になり、仟(かしら)は顔を赤らめて顔を横に振った。


「遠矢(とうや)さん!無理です。そんなことはできません!」

「え?だって二人は女の子だし……」


「そういう問題では……」
「いいじゃん、仟(かしら)」


 要(かなめ)は、仟(かしら)の手を掴んで立たせた。


「えへへ、やっちゃおうよ!」

「要(かなめ)?……だって……」
「いいからいいから」


 要(かなめ)は、嫌がる仟(かしら)の背中を押して紀香(のりか)監督の目の前へ来た。すると、紀香(のりか)監督が少し動揺した。


「な、なによ?仟(かしら)」

「か、監督……失礼します!」


「え?」


 そこへ、ベンチの外の水道で頭から水をかぶってきた一奥(いちおく)が、タオルで髪の毛を拭きながら戻って来た。


「遠矢(とうや)、騒がしいけど何かあったか?」

「あれあれ」


「あれ?……えー?おい仟(かしら)ぁ?」


 一奥(いちおく)が目にしたのは、紀香(のりか)監督のユニフォームに手をかける仟(かしら)の姿だった。


「マジかよ!試合中に何やってんだぁ?」