限界突破|リミット27話

 五回の裏、ワンアウトランナーなし。マウンドにいる梯(かけはし)バッテリーの雰囲気が変わった。ネクストの遠矢(とうや)がバッターボックスへ向かう途中、一奥(いちおく)が後ろから肩を掴んだ。


「遠矢(とうや)、気をつけろ!ここから何かしてくるぞ」


 遠矢(とうや)はチラッと一奥(いちおく)へ振り向き、ホームへ戻る九条(くじょう)を見た。


「確かに自信満々って顔だね。じゃ、行ってくるよ」

「あぁ!」


 一奥(いちおく)はネクストバッターズサークルへ。遠矢(とうや)は右バッターボックスへ入り、キャッチャーの九条(くじょう)は座った。


「プレイ!」


 球審の声の後、バットを右肩に乗せている遠矢(とうや)に九条(くじょう)が話しかけた。


「遠矢(とうや)。試合が動かないと予告を外したお前に、俺も1つ予告してやる。お前の頭に九回の裏はない。それを崩してやる」

「なるほど……それは楽しみだ」


 ニコッと笑って構えた遠矢(とうや)に対し、九条(くじょう)もニヤリと微笑んだ。


「この五回裏も、楽しんでいってくれよ」


 意味深な九条(くじょう)の言葉は、遠矢(とうや)が見逃した初球から現実になった。


「まさか僕からストレートを使ってくれるとはね。九条(くじょう)、光栄だよ」

「大サービスだ。打たせはしないがな」


 九条(くじょう)が返球する中、遠矢(とうや)は松原(まつばら)を見ながら苦笑いしていた。


(これで回転の違うフォークは必要ない球になった。真ん中のストレート軌道からの四択は、確かに大サービスだね……)


「ストライクツー」


 遠矢(とうや)は二球目も見逃した。


(またストレートのまま……)


 マウンド方向を見ながら真顔で考える遠矢(とうや)に、九条(くじょう)はサインを出しながら呟いた。


「お前のスイングスピードなら、振れば当たるかもな……」


 遠矢(とうや)はチラッと九条(くじょう)を見た後、松原(まつばら)へ視線を戻して構えた。


(今の台詞……九条(くじょう)の性格を考えればここは……)


カキーン! パン!「アウト」

「くそっ!」


 遠矢(とうや)はストレートを捉えたが、ピッチャーライナーに打ち取られた。そして、珍しくバットを地面に叩きつけた。転がってきたバットを打席に向かう一奥(いちおく)が拾い、遠矢(とうや)を励ました。


「いきなりストレートを使ってきての連投か……でも遠矢(とうや、)惜しかったな!」

「う~ん、そうだね」


「よし!俺に任せろ!」 


 気合いを入れた表情に変わった一奥(いちおく)を見送る遠矢(とうや)の笑顔を、キャッチャーの九条(くじょう)は見逃さなかった。


(やはり遠矢(あいつ)の本命は八回だ。俺には悔しがる姿には見えない。点差は2点……七回に、先に俺が決めてやる!)


 そして、右手一本でバットを回しながら一奥(いちおく)が打席に立った。


「よっしゃー!一発打って3点差にするぜ。」


 一奥(いちおく)に構わず、九条(くじょう)は、スッと座った。


(ツーアウトランナーなし。ストレートを加えた松原(まつばら)に、一奥(いちおく)は安パイだ)


「うらぁ!」


 一奥(いちおく)は初球のストレートをフルスイングしたが、変化球が頭にある為わずかにタイミングが合わなかった。結果は平凡なセンターフライに倒れた。


「アウト、チェンジ」


 悔しがる一奥(いちおく)は一塁ベンチへ下がり、キャッチャーの九条(くじょう)も三塁ベンチへ下がった。


(左右の変化とフォークの三択だったピッチャー松原(まつばら)の投球。ストレートを加えてフォークはシンカーに変えた。これで鋭く回転する四択、簡単には打たれはしない。俺が考える八回に遠矢(とうや)に回る……アイツを抑えれば、俺たちの勝ちだ)


 すると、九条(くじょう)の目にベンチを出る木村(きむら)監督の姿が映った。九条(くじょう)はニヤリと笑い、右手をナインに向けた。


(監督がまた動く……)「フッ、集合だ!」


 その声に、今の一奥(いちおく)で七回まで梯(かけはし)打線を操る予定だった遠矢(とうや)が、プロテクターをつけた瞬間、梯(かけはし)ベンチへ振り向いた。


(木村監督が動いた?今度はジェスチャーが加わってる……間違いない。でもまだ六回……そうか!九条(くじょう)の前にランナーをためられる)「フッ……フフッ」


 突然笑い出した遠矢(とうや)に、ベンチへ戻ってきた一奥(いちおく)は首をかしげた。


「どうした?遠矢(とうや)。楽しそうだな」

「もちろんだよ一奥(いちおく)。この六回から、あの西島(せいとう)野球が来るよ!」


「西島(せいとう)野球?……意味わかんねぇけど……?」


 バットとヘルメットを置いた一奥(いちおく)に、遠矢(とうや)は帽子とグローブを渡した。


「投げればわかるさ!僕らが野球を始めるきっかけになった、あの光景が見られるからね」


 遠矢(とうや)はマスクとミットを手にし、一奥(いちおく)とマウンドへ歩き出した。



「あの光景……俺、記憶にないんだよなぁ……。遠矢(とうや)とテレビを見てて、西島(せいとう)高校で野球がしたいって思った気はする けど……」


 遠矢(とうや)は目を閉じて、大きく息を吸った。そして、目を開けると同時に息をハァ~と吐いた。


「僕は鮮明に覚えてるよ。13年前、西島(せいとう)高校が最後に出場した夏の甲子園。ビックイニングを狙ったかように作る打線は、この帽子のSTからストック打線と呼ばれてたね」

「おーおー!あれか。そういえば一気にテレビが騒がしくなったな!」


「そう。という事は、木村(きむら)監督の僕らの分析が終わったんだ。ここから打たれるよ~!一奥(いちおく)~!」

「あはは……嬉しそうだな遠矢(とうや)。まぁいいか!なら見せてもらおうぜ。そのストック打線の西島(せいとう)野球をな!」


「そのつもりだけど、手加減はいらないからね?一奥(いちおく)」

「おう!」


 遠矢(とうや)はホームへ向かい、梯(かけはし)ナインに指示をする木村(きむら)監督を笑顔で見ていた。


(僕らがテレビで見た映像が目の前で甦る。興奮したなぁ……次々にホームを駆け抜けた西島(せいとう)ナインの止まらない笑顔に、目が釘付けになったのを思い出すよ)


 一方、一塁ベンチに座る紀香(のりか)監督は、木村(きむら)監督に鋭い視線を送っていた。


(ついにこの時が来た。あの二人は喜んでいるけど、今の木村(きむら)監督のリミットはどれ程のものなのかしら……。でも、梯(かけはし)には木村監督に応える力がある。覚悟しなきゃいけないわね……)

完全なる遠矢の敗北

「ポイントはわかりましたかな?」

『はいっ!』


 木村(きむら)監督の話を聞いた九条(くじょう)は、舌を巻いた。


(正直驚いたな……ここまで読めるものなのか。遠矢(とうや)、どうやらお前の相手は俺ではなく、初めから木村(きむら)監督だったようだな。悔しいが、これでお前の計算は狂う。俺はこの借りを、バットで返させてもらう)


 投球練習中、遠矢(とうや)は三塁ベンチが気になりチラチラ見ていた。


(作戦は変えない。でも手は抜かない。本当に見破られたのか……それならどこまで通用するのか?木村(きむら)監督、真っ向勝負です!) 


 遠矢(とうや)が二塁へ送球し、キャッチしたショートの神山(かみやま)が一奥(いちおく)へボールを返そうとしたその時だった。


「しまっていこう!」


 気合いを入れた遠矢(とうや)が内外野に声をかけた姿に、少し驚いた神山(かみやま)は送球体勢のまま動きを止めた。ボールを待つ一奥(いちおく)の笑顔に「フッ」と笑いながら送球すると、神山(かみやま)も「よし……」と静かに気合いを入れながらポジションへ戻った。


 六回の表。先頭九番ピッチャーの松原(まつばら)が右打席に立ち、一奥(いちおく)がセットポジションに入った。しかし、一奥(いちおく)のセット時間が長い。構える松原(まつばら)をジッ見つめるキャッチャーの遠矢(とうや)は、すでに異変を感じていた。


(一奥(いちおく)……まだだ。まだ……)


 その時一奥(いちおく)は、遠矢(とうや)から投げろのGOサインであるミットを見ていた。わずかにミットが開いた瞬間クイックで投げていた一奥(いちおく)は、唇を噛んでいた。


(長いぜ……遠矢(とうや)……)


 時間の長さに耐えきれなかった一奥(いちおく)は、プレートから足を外してロジンをポンと叩くように触った。そして遠矢(とうや)は、マスクを外しておでこの汗をアンダーシャツの左袖で拭った。


(やはり見破られている。僕と松原(まつばら)のタイミングが合わない……)


 バッターの松原(まつばら)は、バッテリーの様子を交互に一度ずつ見た後、視線を三塁ベンチへ移した。


(なるほどな。木村(きむら)監督の言った通りだ。もう確認の必要はない……始めるか)


 構えた松原(まつばら)に対し、サインを出すフリをした一奥(いちおく)が再びセットポジションに入った。間もなく遠矢(とうや)のミットがわずかに開いたのを確認した一奥(いちおく)は、クイックからストレートを投じた。


「うおっ!」


 打たれた一奥(いちおく)が感心するように驚いた打球は、あっという間に三遊間を抜けていった。そして、キャッチャー遠矢(とうや)の笑顔は完全に消された。


(やられた。これは明らかに狙い打ち……でも、まだまだ!)


 その時、一塁ベース上にいた松原(まつばら)は、三塁ベンチを見ながら木村(きむら)監督の言葉を思い出していた。


“ キャッチャーの遠矢(とうや)君は、君たちの呼吸のタイミングを外しています。強く息を吸わせてもらえないという事ですな。球が重く感じたのは、ただ君たちの力が半減させられていたということです。”


 ノーアウト一塁。一番の五十嵐(いがらし)が静かに打席に立った。そして、一奥(いちおく)は変わらずクイックからストレートを投じた。だが五十嵐(いがらし)は余裕で見逃し、木村(きむら)監督の言葉を思い出していた。


“ 外した呼吸でヒットを打たれたのなら、今度はあえて遠矢(とうや)君は君たちの呼吸を合わせてくるでしょうな。ですがその球はボール。低めに手を出せば、ヒットにするのは難しいでしょうな。”


「ボール。ワンボール」


 予想通りの結果に、五十嵐(いがらし)はニヤッと口角を広げた。


(なるほど。マジで今のは呼吸が合ってた。いつも通りの感じだぜ。結果も低めのボールでゲッツー狙い。なら次は……)


 一奥(いちおく)が返球を捕り、バットを左肩に乗せた五十嵐(いがらし)は再び木村(きむら)監督の言葉を思い出していた。


“ 呼吸のタイミングを合わせているのに手を出して来ないのなら、遠矢(とうや)君はボールをストライクと球審に言わせる為、目の錯覚を使うでしょうな。まずは低めギリギリのボールになるフォークを、ミットを180度回転させて両膝を地面について捕ります”


 一奥(いちおく)の投じたボールを見たバッターの五十嵐(いがらし)は、思わず笑ってしまった。


(監督の言った通り、本当にフォークが来たぜ!)


「ボール。ツーボール」


 捕った瞬間、遠矢(とうや)は見送った五十嵐(いがらし)がミットの位置を見ていたのを確認した。


(一奥(いちおく)も頷いたフォークも読まれてる。間違いないね……後は、どこまで木村(きむら)監督のリミットに通用するのか……)


 遠矢(とうや)は返球し、リラックスした五十嵐(いがらし)は三度(みたび)指示を思い出していた。


“ 次に同じ低めのフォークを、やや中腰で捕るでしょうな ”


「ストライク。ツーボールワンストライク」


 誤審にもかかわらず、余裕の姿が変わらない五十嵐(いがらし)の姿を見たキャッチャーの遠矢(とうや)は、眉間にシワを寄せた。


(次が勝負球だ!)


 そしてそれは、木村(きむら)監督の言葉を思い出していた五十嵐(いがらし)も同じだった。


“ これで、君たちは低めのボール球に手を出さなければなりません。さらに呼吸も外してくるでしょうな。ですが、ストレートとわかっていればボールでもヒットの確率は上がるでしょう。君たちのバッティング技術なら打ち返せます。ホームランは捨てて、コンパクトに振るのです ”


 一奥(いちおく)が四球目を投じる。バッターの五十嵐(いがらし)は、待ってましたと言わんばかりの鋭いスイングで応じた。


「ライト前だ!」


 打った瞬間、五十嵐(いがらし)が喜びながら叫んだ。前の二打席とは明らかに違うスイングに、遠矢(とうや)は驚いた。


(ピッチャーの松原(まつばら)はともかく、五十嵐(いがらし)がコンパクトに振ってくるとはね……。ボール球もライト前も狙い通り……)


 ノーアウト一塁・二塁。打席には二番の七見(ななみ)が立ち、同じく指示を思い出していた。


“ 君たちがコンパクトに振ってくると遠矢(とうや)君が理解すれば、ストレートは減るでしょうな。その結果が変化球になるなら、ストライクからボールになる球でしょうな”


(やはり変化球。スライダーか!)


 七見(ななみ)の広がった口角を、遠矢(とうや)は見ながらキャッチした。


「ボール」


(スライダーもダメ……変化球にストライクはないと読まれてる)


 難しい顔の遠矢(とうや)とは対照的に、構えた七見(ななみ)は指示を思い出しながら余裕の笑みを見せていた。


“ もちろん呼吸は外してきますが、ストライクは沈むストレートですな”


 二球目。投じられたストレートに、七見(ななみ)は迷いなくバットを振り抜いた。


(同じ球をホームランに出来ないのはしゃくだが……試合に負けるのはもっと御免だ!)


 七見(ななみ)の打球は、ファースト杉浦(すぎうら)の右を抜けてライト前へ飛んだ。


(ファーストさんよ。これで前の打席の借りは返したぜ!)


 二塁ランナーの松原(まつばら)は三塁ストップ。打った七見(ななみ)が一塁を回った時、ライト鶴岡(つるおか)のカットに入ったファーストの杉浦(すぎうら)は、ボールを捕ると「ぐぬぬ」と七見(ななみ)をにらんだ。


「よっしゃー!三連打」
「ノーアウト満塁だ!」
「続けー!二宮(にのみや)」

「おう、任せろ!」


 盛り上がる梯(かけはし)ベンチ。打席に向かいながら気合いを入れた三番の二宮(にのみや)も、木村(きむら)監督の指示を思い出していた。


“ それを打てば、もう投げる球はありませんな。変化球でストライクなら長打になります。ストレート以外ではストライクを取れません。打たれるとわかっていながら遠矢(とうや)君がストレートを選ぶなら…… ”


 初球・二球目と、遠矢(とうや)はシュート・スライダーを選択したが、バッターの二宮(にのみや)は余裕で見送った。満塁でカウントが苦しくなった遠矢(とうや)は、ストレートを選択するしかなかった。


 三球目。そのボールを確認した二宮(にのみや)は、コンパクトにバットを振り抜いた。


「よし!」


 二宮(にのみや)は走りながら右手を握り、三塁ランナーの松原(まつばら)がホームインした。


「抜けたー!」
「センター前だ!」
「これで1点差だぜ!」


 再び梯(かけはし)ベンチから声が飛ぶ中、マスクを外した遠矢(とうや)は唇を噛みながら空を見上げていた。


(これが木村(きむら)監督のリミット……。それも一球一球全てを読むなんて。やっぱり動いた時の木村(きむら)監督は凄い。わかってはいたけど、これ程までとはね……)


 息をついた遠矢(とうや)は、ガクッと膝から崩れるように座った。その姿を、バッターボックスへ向かう四番の九条(くじょう)は、木村(きむら)監督の言葉に納得するように頷きながら見ていた。


“ この試合は……決まりですな”