野球バカの聖地|リミット22話

 続く二球目、九条(くじょう)は同じくど真ん中のストレートを要求した。
そして、セットから松原が足を上げたその時だった。


「走ったぁ!」


 突然サードの二宮(にのみや)が叫ぶ。その声に九条(くじょう)と一奥(いちおく)は、ほぼ同時に三塁側を見た。

 三塁ランナーの鶴岡(つるおか)が、バッテリーの隙を突いて猛然とホームに突っ込んで来る。


「どけ!一奥(いちおく)!」


 あまりに無謀な鶴岡(つるおか)のホームスチールに、九条(くじょう)はボールを見ながら鼻で笑った。


(一奥(いちおく)は左バッター。これでは奇襲にもならない……) 

 キン!「なに?」


 九条(くじょう)は驚き、ランナーの鶴岡(つるおか)は立ち止まった。バットに当たったボールは、三塁コーチャーズボックス方向へコロコロと転がり、ファールとなった。


(カットだと?一奥(いちおく)……)


 睨むように九条(くじょう)が一奥(いちおく)を見上げると、その顔は呆然としながら開いた左手を見ていた。その手を握った瞬間、一奧(いちおく)の口はニヤリとした後下を向いたままそっと開かれた。


「鶴岡(つるおか)先輩……今の完全にアウトだったよ」

「うるさいぞ!一奧(いちおく)。お前こそ、一人で試合をするな!」


 振り返った鶴岡(つるおか)は、三塁へ戻り始めた。


「俺も混ぜろよ……エース……」 


 鶴岡(つるおか)の背中から発せられた言葉に、一奧(いちおく)は驚きながら顔を上げた。大きく開かれたその目は、歩く鶴岡(つるおか)の背中をジッと見ていた。

(鶴岡(つるおか)……先輩……)「ん?」


 一奧(いちおく)の尻に、ボフッと音をたてて滑り止めのロジンが当たった。振り返るとロジンは足下に落ち、ふとネクストバッターズサークルに目をやると、要(かなめ)が笑っていた。


「あ!アハハ。ごめーん、一奥(いちおく)ん。バット滑ったみたいだったから。滑り止め貸そうと思ったんだけど、私の手が滑り止めで滑っちゃったみたい」


「要(かなめ)、お前なぁ……」


 すると、一奧の目に今度はベンチから走ってきた仟(かしら)の姿が映った。仟(かしら)は要(かなめ)の投げたロジンバックを拾うと、笑顔で右手を差し出した。


「一奥(いちおく)さん、バット貸して下さい」

「へ?」


 不思議そうな顔の一奧(いちおく)からバットを奪い取った仟(かしら)は、これでもかと言わんばかりにロジンをグリップに付けた。


「仟(かしら)~、これじゃ余計に滑るじゃん」

「いいんです!一奥さんは立ってるだけですが、これでも足りないくらいです」


「本当に滑り止めで滑りそうだな……」


「なら、俺がそのバットを使ってやる。どけ!一奥(いちおく)」


「杉浦(すぎうら)先輩?」


 仟(かしら)の後を歩いてきた杉浦(すぎうら)は、一奥(いちおく)の胸を押した。一奥(いちおく)は、三塁側へよろけた。


「なぁ、杉浦(すぎうら)先輩。どけって言われても……打順が俺だって言ったのは杉浦(すぎうら)先輩だぜ?」

「フン!どうせお前は自動アウトだ。同じアウトなら、俺が打順違いでアウトになってやる。その前に幻の満塁ホームランは打つがな!ガハハ」


「無茶苦茶だよ。球審に聞こえてるし……」


 すると、杉浦(すぎうら)は振り返ってベンチへ歩き出した。


「嫌ならお前が打て!いくぞ仟(かしら)」

「はい」


 ベンチへ下がる杉浦(すぎうら)と仟(かしら)の背中を、一奧(いちおく)は微笑みながら見ていた。

 すると、二人の奥にいる紀香(のりか)監督と目が合った。紀香(のりか)監督は、優しく声を一奧(いちおく)にかけた。

西島の斉藤一奥

「あなたの限界は、西島(なかま)と超えなさい」

「監督……」


 下を向いて歯を食い縛り、一奥(いちおく)は涙をこらえた。


(そうだ……俺が上橋中(こいつら)を信じられなくなっちまったからって、西島(みんな)とは関係ない……なのに俺は……)「みんな、ごめん!」


 一奧(いちおく)は、そのまま頭を一塁ベンチへと下げた。


「なに謝ってんだよ!」
「らしくねーぞ!」
「気持ち悪いから止めてくれ!」


「フフ……ハハッ……」


 仲間の明るい声援を聞いた一奧(いちおく)は、嬉しさのあまり頭を下げたまま笑った。右手一本でグリップを握ると、頭を上げながらバットをグラウンドへ軽く叩きつけた。


「なんだよ、その応援は!こっちは謝ってるのに文句はねぇだろ!」


 一奥(いちおく)の叫び声に、村石(むらいし)が応えた。


「うるせー。こっちはつまんねーんだよ!お前が取られた点だ。テメーのケツはロジンで拭いたよな?要(かなめ)に感謝しろよ」


「村石(むらいし)先輩……よっしゃー!」


 叫びながら振り返り、一奧(いちおく)は大きくバットを構えた。すると、一奧(いちおく)の耳に九条(くじょう)の声が入った。


「一奥(いちおく)。西島(せいとう)はバカの集まりか?」

「へへっ。知らなかったのか?九条(くじょう)。西島(ここ)はな、野球バカの聖地なんだ」


「フッ。何を言うかと思えば、ここが聖地だと?野球バカが……お前にはお似合いのチームだ。だがカウントはノーツー。俺はお前を普通に抑える。それだけだ」

「やれるもんなら、やってみろ!」


 キャッチャーの九条(くじょう)がサインを出した。


(一奥(いちおく)の狙いはホームランだ。松原(まつばら)、アウトローにおもいっきり投げ込め!)

(わかった。俺にも意地がある。これ以上打たれる訳にはいかない)


 セットに入った松原(まつばら)は、渾身のストレートを投げ込んだ。その球を見たキャッチャーの九条(くじょう)は、ミットをほとんど動かさずに小さく頷いた。


(いい球だ!一奥(いちおく)の力ならサードゴロ。トリプルプレーだ!)


 追い込まれている一奥(いちおく)は、スイングの体勢に入った瞬間、三塁ランナーの鶴岡(つるおか)を視界に捉えた。


(鶴岡(つるおか)先輩、感謝するぜ!これは、あの勝負で手が出なかった同じ球だ!おかげで限界を超えられる!)


 カキーン!「いっけぇー!」


 一奥(いちおく)の叫びと共に、快音を響かせた打球は左中間へ飛んだ。素早くマスクを外して立ち上がった九条(くじょう)が「チッ」と舌打ちをする。

 フェンスを越えたと思った一奥(いちおく)は、一塁の遠矢(とうや)が全力で走っている姿を見て速度を上げた。


(届かねぇのか。面白れぇ!ホームで勝負だ!)


 鶴岡(つるおか)に続いて、二塁ランナーの小山田(おやまだ)がホームイン。遠矢(とうや)がホームインしようとした時、センターの七見(ななみ)から中継のショート六川(ろくがわ)のグローブへ収まった。


(いける!)


 そう判断した一奥(いちおく)が三塁ベースを蹴ろうとした瞬間、九条(くじょう)の言葉が脳裏をよぎった。


“お前はピッチャーだ!無駄な進塁はするな”

(うるせぇ!俺は西島(せいとう)の……斉藤(さいとう)一奥(いちおく)だ!)


 グラウンドをえぐるような力強い走りで、一奥(いちおく)は三塁を回った。ショート六川(ろくがわ)は懸命のバックホーム。一奧(いちおく)の位置と六川(ろくがわ)のタイミングを計ったキャッチャーの九条(くじょう)は、「よし……」と小さく呟いた。


(タイミングはアウト。一奥(いちおく)、ここまでだ!)


 腰をかがめた九条(くじょう)の姿が、一奧(いちおく)の目に入る。


(くそっ、九条(くじょう)が捕球体勢に。間に合わないか……)


 一奥(いちおく)が右に回り込もうとしたその時だった。ホームインした遠矢(とうや)が九条(くじょう)の背後から叫んだ。


「真っ直ぐ突っ込め!」


 背中越しに声を聞いた九条(くじょう)が、眉間にシワを寄せる。


(騙されるか!タイミングはアウト。一奥(いちおく)は回り込む!)


 九条(くじょう)の手前でワンバウンドしたボールは、顔付近へと完璧にコントロールされていた。キャッチしようとした瞬間、九条(くじょう)は一奥(いちおく)の位置を確認する為、一瞬ボールから目を離した。

 一奥(いちおく)は、遠矢(とうや)の指示通り真っ直ぐホームへヘッドスライディングの体勢に入っていた。


(そのままくるか。だが変わらない。もらった!)


 しかし、一奥(いちおく)は回り込むと思っていた九条(くじょう)のミットは、捕球タイミングに僅かなズレを生じさせた。九条(くじょう)がミットを閉じた瞬間、ミットがボールを弾いて30センチ程真上へ跳ねた。


「しまっ……」

「だぁぁぁぁ!」


 取り損ねた九条(くじょう)が素早く捕球し、一奥(いちおく)の腕にタッチした。


「アウトだ!」


 球審にアピールした九条(くじょう)が目にしたのは、真横に動いた球審の両手だった。


「セーフセーフ!ホームイン」

「よっしゃー!同点だぁ!」


 両膝をつき、一奥(いちおく)は叫びながら両腕を高々と上げた。そしてその笑顔は、野球バカの復活を表していた。すぐに立ち上がると、一奥(いちおく)は遠矢(とうや)とハイタッチした。


「やったぜ!遠矢(とうや)」

「ナイスランだ、一奥(いちおく)!」


 そのまま遠矢(とうや)とベンチへ下がった一奥(いちおく)は、先にホームインした小山田(おやまだ)・鶴岡(つるおか)とタッチを交わした。ベンチ前で紀香(のりか)監督ともタッチをしようとしたが、紀香(のりか)監督は笑顔でかわした。


「あれ?」


 一奥(いちおく)が空振りした瞬間、チームメイトに囲まれ体中を叩かれる手荒い歓迎を受けた。


「いて、いて、痛いってばぁ!」


 そう言いながも、一奥(いちおく)も仲間も最高の笑顔をしていた。


 この回、西島(せいとう)高校も打者一巡。
試合は振り出しとなった。

 この事実にキャッチャーの九条(くじょう)は、タッチにいったままの座った体勢で動けずにいた。


 チームの柱である九条(くじょう)が負けたと認識した梯(かけはし)ナインは、ショックを受けていた。三塁ベンチの木村(きむら)監督は、彼らが肩や頭を下ろす姿からそれを感じ取る。そして、ベンチをゆっくりと出た。


「球審、タイムをお願いできますかな?」


 その声に、ベンチへ歩いていた遠矢(とうや)が振り返って木村(きむら)監督を見た。


(木村(きむら)監督が動いた……)


 木村(きむら)監督の笑顔とは裏腹の思惑に、遠矢(とうや)は唾を飲み込んだ。


(ここからが、本当のプレイボールだ……)