心の闇|リミット21話

「しゃあ!」


 五番村石(むらいし)の打球は三遊間を抜けた。その打球を見た瞬間、キャッチャーの九条(くじょう)は下を向いた。


(やはりか……西島(こいつら)の打力を上げていたのは、一奥(いちおく)だったのか……)


 九条(くじょう)は座ったまま、握られた右手を見つめていた。


(一奥(いちおく)を、勝負好きのただの野球バカだと思っていた。本当に気づくべきは、毎日毎日勝負勝負とバカみたいに繰り返していた打撃練習の本質だったんだ。当時の俺たちが誰一人そう思わなかったのは、ブルペンに入らない一奥(いちおく)の投球練習に付き合わされてると思ったからだ。だが、見方を変えれば打撃投手としては優秀だった……だから俺たちは、一奧(いちおく)に付き合ったんだ……)


 九条が錯乱する中、続く六番鶴岡(つるおか)の打球もセンター前へ抜けた。九条(くじょう)は、座ったまま動けなかった。


(……だが一奥(いちおく)は、試合になると力を発揮できなかった。そして、全中大会で打てないピッチャーはいなかった。俺たちは、天才集団だと勘違いをしていたというのか……)


 歯を食い縛りながら、九条(くじょう)は変化球のサインを出すしかなかった。しかし、七番小山田(おやまだ)の一・二塁間のヒットを見た九条(くじょう)は、ようやく立ち上がった。


(ノーアウト満塁か……)


 九条(くじょう)が横目で一塁ベンチ方向を見ると、八番キャッチャーの遠矢(とうや)がバッターボックスへと歩いてきた。


(こいつが、今の一奥(いちおく)の女房役……)


 遠矢(とうや)は右バッターボックスに立つと、座った九条(くじょう)に目を向けた。


「悪いけど、同点にしてこの回はなかった事にさせてもらうよ。待たせてる人がいるからね」

「なに?お前、何が言いたいんだ」


「満塁ホームランを打たせてもらう。この回以外、しばらく点は入りそうにないからね」


 遠矢(とうや)は、グリップをギュッと強く握って構えた。その姿を目にした九条(くじょう)は、不思議そうな顔をした。


(こいつ……ここまで松原(まつばら)から7連打の打線に点が入らないだと?俺を揺さぶっているのか?……悔しいが、今の松原(まつばら)が点を取られない方がおかしい。だが、遠矢(こいつ)の言葉を鵜呑みにするなら……)


 マウンドの松原(まつばら)を見た九条(くじょう)がサインを出す。うなづいた松原が軽く足を上げてヒョイと投げた瞬間、予告満塁ホームランを宣言した遠矢(とうや)は「え?」と驚いた。

 
 そのままミットに収まるまでボールを目で追うと、遠矢(とうや)の目にニヤリと立ち上がっている九条(くじょう)の姿が映った。


「僕は敬遠か……」

「そうだ。お前の思い通りにはさせない。この押し出しは、次の一奥(いちおく)から流れを戻す布石だ」


 遠矢(とうや)は無表情のまま見送り続け、その後四球目が通過した。

 九条(くじょう)のミットにボールが収まった瞬間、遠矢(とうや)が九条(くじょう)を見てニコッと微笑んだ。


「これで4点差。ありがとね」

「強がるな。お前の予告満塁ホームランはこれで消えた。早く一塁へ……お前、まさか!」


「フフッ、そうだよ。満塁ホームランを打つのは一奥(いちおく)さ。僕が打つとは言ってないしね。それに、僕が打っても9対8。これでは振り出しにならないよね?」

「くっ……」


 遠矢(とうや)は一塁へ走り出し、九条(くじょう)は悔しがった。


(計算通りという訳か……まぁいい。次の一奥(いちおく)で終わらせるプランに変更はない……)

投手は打たなくていい

 九条(くじょう)が一塁ベンチ方向を見ると、打席に向かうはずの一奥(いちおく)の姿がなかった。視線をベンチへ移すと、一奥(いちおく)はタオルを顔に掛けたままベンチに寄り掛かっていた。


 九条(くじょう)の視線に気づいたベンチの杉浦(すぎうら)が振り向くと、立ち上がってベンチの奥にいる一奥(いちおく)の下へ向かった。


「おい、一奥(いちおく)。お前の打順だぞ」


 杉浦(すぎうら)は、バッと勢いよくタオルをのけた。「んぁ?」と薄目で杉浦(すぎうら)を見た一奥(いちおく)は、ベンチメンバーの持ってきたヘルメットを頭に乗せるようにかぶり、ゆっくり立ち上がってベンチを出た。

 そのままバッターボックスへよたよたと歩く一奥(いちおく)に、杉浦(すぎうら)が叫んだ


「ちょっと待て!一奥(いちおく)。バット忘れてるぞ!」


 下を向いている一奥(いちおく)は振り返り、無言のままバットを手にした。そして再び左バッターボックスへ、バットを引きずりながらよたよたと歩き始めた。


 すると、今度はバックネット裏から白城(しらき)が叫んだ。


「おい、一奥(いちおく)!ボーッと歩いてんじゃねー!一発で同点だろ!」


 その声に一奥(いちおく)はバッターボックス手前で立ち止まると、力の抜けた顔で白城(しらき)を薄目で見た。


「白城(しらき)……」


 眉間にシワを寄せる白城(しらき)の顔から、一奥(いちおく)はスコアボードに視線を移した。すると、一塁ランナーの遠矢(とうや)が叫んだ。


「一奥(いちおく)。一発頼むよ!」


 一奥(いちおく)の目が遠矢(とうや)に向けられる。すると、一塁ベンチの声援が耳に入った。


「そうだー!」
「いけー!一奥(いちおく)」
「一気に同点だ!」


 一奥(いちおく)はベンチメンバーを見たあと、再び下を向いてバッターボックスへ無言で立った。


 だが、一奥(いちおく)の口は緩んでいた。


(変な気分だな……ピッチャーの俺がバッターなのに、こんなに応援されるなんて。でも、こんなにも嬉しいもんだったんだな。中学時代はヒットでも凡退でも関係なかった。当たり前か……やっぱり俺はピッチャーなんだ……)


 一奥(いちおく)は顔を下に向けたまま、唇をかんだ。


(……そうだ……打たなくてもいいんだったな……)


 両手でバットを左肩に担ぎ、一奥(いちおく)は暗い顔を一塁ベンチへ向けた。


「まだノーアウトじゃねーか。俺はな、三振で繋げばいいんだよ」


 横向きの体を戻し、再び下を向いた一奥(いちおく)はキャッチャーの九条(くじょう)に寂しそうに呟いた。


「そうだろ?……九条(くじょう)」

「あぁ、お前はピッチャーだ。打つ必要はない」


 九条(くじょう)がサインを出し、松原(まつばら)は軽くストレートを真ん中に投げた。


 ストライクの球に一奥(いちおく)は、バットを担いで下を向いたままボールを全く見ていなかった。九条(くじょう)は当然といった表情で、松原(まつばら)へ返球した。


 この結果を見せつけるように、九条(くじょう)は無表情で一塁ランナーの遠矢(とうや)を横目で見た。


(お前の策は、失敗だったな……)