中学時代のバッテリー再び|リミット 17話

 九条(くじょう)は左バッターボックスに入ると、マウンドの一奥(いちおく)を睨みつけていた。

 一奥(いちおく)と九条(くじょう)の二人は、中学時代の優勝バッテリー。一奥(いちおく)の球を受けていた九条(くじょう)は、当然一奥(いちおく)の欠点を熟知している。

(去年の上橋中(じょうばしちゅう)に、一奥(おまえ)以上のピッチャーはいなかった。それは練習でよくわかっている。お前はブルペンが嫌いだった。打撃投手の方が練習になると言い、俺とお前は何度も対戦した。だが、試合になると決まって練習以下の球になる。スポーツの世界で本番に弱い人間をイップスと呼ぶが、正にお前はそれだった。だから俺たちは、打撃のみで全中制覇を成し遂げたんだ……)

 厳しい表情のまま、九条(くじょう)はバットを構えた。

(一奥(いちおく)。お前は打撃投手としては一級品だ。だが、いい選手を集められる高校野球では、お前は必要ない。甲子園優勝は、打撃だけで届くほど甘くはない!)

「次は……九条(くじょう)か……」

 一奥(いちおく)が投球モーションに入った。

(九条(おまえ)の大嫌いなクロスファイヤー……今日こそホームランにしてみろ!)


 一奥(いちおく)のピッチャープレートの立ち位置が、一塁側へ変わった事に九条(くじょう)は気づいた。

 左バッターにとって必然的に対戦の少ない左ピッチャーのアウトコースは、経験の少なさという意味で苦手な球になりやすい。右ピッチャーと同じアウトコースでも、左ピッチャーの場合は角度が出る。

 そして一奥(いちおく)ほどの速球を投げる左ピッチャーとなると、経験はさらに少なくなる。

 その球を苦手としていた九条(くじょう)は、練習で一奥(いちおく)のクロスファイヤーと何度も対戦した。しかし、結局一度もホームランにした事はなかった。


 だが、投じられたストレートを見た九条(くじょう)は、興奮ぎみにスイングへと入る。

(この球だ!だが一奥(いちおく)、今の俺には通用しない!)

 カキーン!……ボン

 九条(くじょう)にとって、中学時代の自分の限界を超えた瞬間だった。打球は、一歩も動けなかったセンター要(かなめ)の遥か頭上を通り、バックスクリーンへ飛び込んだ。

 ダイヤモンドを一周する九条(くじょう)に、喜ぶ姿はない。三塁ベンチの梯(かけはし)メンバーたちは、九条(くじょう)なら当然の結果という表情を浮かべる。しかし、九条(くじょう)の心は違和感を覚えていた。

 それは、キャッチャーとして一奥(いちおく)の球を受けていた九条(くじょう)だからとも言える事だった。

(今のクロスファイヤーのスピードとキレ。試合では一度もなかった球だ。だが一奥(いちおく)は、それを投げた……考えすぎか。これは、ただの練習試合だったな)

 ホームインし、ベンチへ戻る九条(くじょう)をネクストバッターの八木(やぎ)が少し驚いた表情で出迎えた。

「九条(くじょう)。今の一奥(いちおく)球だが、生きてなかったか?」

「これは公式戦ではない。そういう事だ」


「そうか、なるほどな」

 ニヤリと納得した八木(やぎ)は、俺も続くと意気込んで右バッターボックスに立った。その姿を見たマウンドの一奥(いちおく)は、まだ中学時代のままだった。

(ついに九条(くじょう)に打たれたか……次は八木(やぎ)……このところ、いじめ過ぎたからな。大好きなインハイのストレートを、投げてやるか……)

 九条(くじょう)の言葉に納得はしたが、一球確認したかったバッターの八木(やぎ)が初球を見逃す。

 パーン「ストライク」

 キャッチャー遠矢(とうや)の返球に目もくれず、一奥(いちおく)は八木(やぎ)を見つめたままボールを捕った。

(なんだよ八木(やぎ)、打たねぇのか……なら今日も、大回転と行くぜ!)

 一奥(いちおく)が二球目の投球モーションに入ったその時、バッターの八木(やぎ)は笑みを浮かべた。

(普通のストレートだった。今の俺なら、楽々ホームランに出来たボール。やはり九条(くじょう)の言った通り、あいつはイップス一奥(いちおく)だ!)

 八木(やぎ)は中学時代、縦の変化を苦手としていた。一奥(いちおく)の思った大回転とは、当時の八木(やぎ)が空振りばかりしていたフォークボールの事だった。

(フォークか!ストレートよりマシだが、キレが甘いぜ!一奥(いちおく))

 カキーン!

 今度はレフトスタンドへ飛び込む。打った八木(やぎ)は、大きくガッツポーズをしながら一塁ベースを蹴った。一奥(いちおく)のフォークに苦しみ、一番覚えていた八木(やぎ)だからこそ、その喜びは爆発した。

 またも打たれた一奥(いちおく)は、虚ろな目でレフトスタンドを見ていた。

(ついにやられた。ナイスバッティングだぜ……八木(やぎ))

 これで試合は5点差。その後も一奥(いちおく)のスタイルは、中学時代の練習中のまま変わることはなかった。

 続く六番の三好(みよし)、七番の六川(ろくがわ)、八番の四本(よつもと)にも連続ホームランを打たれ、点差はついに8となった。

 ネクストの九番ピッチャー松原(まつばら)は、ホームインした四本(よつもと)を笑顔で迎えた。

「ナイスバッティング、四本(よつもと)」

「楽勝楽勝。まぁ、松原(おまえ)ならこんなに点数はいらないけどな」


「あぁ」

 返事をした松原(まつばら)が、バッターボックスへ向かおうとしたその時だった。松原(まつばら)の耳に、バックネット裏から懐かしい声が入った。

「あれ?お前、松原(まつばら)じゃん!久し振りだな」


名京の斜坂再び

 立ち止まった松原(まつばら)の笑顔はすぐに消え、バックネットへ振り向いた。声をかけた男の着ているジャージの胸部分には、名京(めいきょう)と刺繍(ししゅう)がされていた。松原(まつばら)が、険しい表情に変わる。

「斜坂(ななさか)。どうしてお前がここにいる」

「それは俺の台詞なんだけどなぁ。まぁいいや。俺はランニングのついでに、俺のブログにコメントしろと一奥(いちおく)に言いに来ただけだよ。それよりお前、俺が名京(めいきょう)高校へ行くって言ったら、確かライバル校の愛報(あいほう)高校へ行くって言ってたよな?それが何で……えーっと……読めねぇなぁ……」
「梯(かけはし)だ!」


「ほぉー、それかけはしって読むのか。ブログのネタにするかな……。で?その梯(かけはし)になんでいるんだよ?」

 階段を降り、斜坂(ななさか)はバックネット裏の見学用ベンチに座った。冷静さを取り戻した松原(まつばら)は、「フッ」と笑いを返す。

「驚くなよ斜坂(ななさか)!このチームはな、俺たちの代の全中優勝メンバーだ!」

 得意気に言い放った松原(まつばら)だが、斜坂(ななさか)は首をかしげた。

「全中優勝?あ~、って事は、俺が投げてれば勝ってた中学か。ふふ~ん、なるほどねぇ」

 斜坂(ななさか)は、腕を組んで微笑みを返した。だが、それを聞いていたネクストバッターズサークルの五十嵐(いがらし)が、怒りをあらわにした。

「おい、お前。去年の全日本ユースを辞退した斜坂(ななさか)か?」

「ん?あぁ、俺は飛行機に乗るのはメジャー行きと決めてるからな。ってお前、まさか斜坂剛二(ななさかごうじ)の右肩上がりを読んでねーのか?プロフィールに書いてあるだろ?」


「知らねぇわ!そんなブログ。それより、俺たちの優勝をバカにするのは許せねぇ。この試合はもう終わりだ。今すぐ勝負しろ!」

「勝負?勝負って、何言ってんだ?お前」

 すると五十嵐(いがらし)に続いて、ぞろぞろとバックネット際に梯(かけはし)メンバーが集結した。

 だが、球審がそれを止めた。

「次のバッター、早く打席へ」

 球審の声を聞いた斜坂(ななさか)は、バッターボックスを指差した。

「ほれ、松原(まつばら)。球審が呼んでるぞ。お前らもまだ初回なんだろ?早く戻って試合続けろよ」

 球審の指示で、振り返った松原(まつばら)は右バッターボックスへ向かう。梯(かけはし)のメンバーも、ベンチへと下がった。

 その下がり際、ネクストバッターズサークルへ座った五十嵐(いがらし)が、再び斜坂(ななさか)を挑発した。

「お前ら名京(めいきょう)高校とは、夏の本番でやる。その時、お前をボコボコにしてやるからな」

 しかし、斜坂(ななさか)は微笑んでいた。

「いいぞ。楽しみにしてるわ……えーっと……か、か……」
「梯(かけはし)だ!」


「おーそれそれ」

「くっ」

 五十嵐(いがらし)が試合に戻ると、斜坂(ななさか)はニヤリとしながらグラウンドを見渡した。

(へぇ~、こいつらが去年の優勝メンバーか。歴代全中優勝チームの最多総得点記録を塗り替えた打線だったな……なら一応、一通り見てから帰るか。で?そのエースの一奥(いちおく)は、現在元同僚相手に火の車と。ま、一奥(いちおく)は打力のなかったウチの中学に打たれまくったらしいからな)

 ニコニコと斜坂(ななさか)が見つめる中、今だ復調の兆しさえ見えないマウンドの一奥(いちおく)に、微妙な変化が表れた。

 右打席に立った松原(まつばら)を見た一奥(いちおく)は、正気を取り戻していた。

(こいつ誰だっけ?……ん?試合前に挑発してきた奴か)

 一奥(いちおく)の表情の変化に、キャッチャーの遠矢(とうや)は気づいた。一奥(いちおく)からいつもの覇気は感じられないが、遠矢(とうや)がサインを出すと、一奥(いちおく)は頷いた。

 バシン!「ストライク」

 捕った遠矢(とうや)は、少しだが安堵した。

(よし!ほぼ要求通りのストレートが来た。このバッターがきっかけになれば、いつもの一奥(いちおく)に戻るかもしれない……)

 遠矢(とうや)が一奥(いちおく)へ返球し、二球目のサインを考えていたその時だった。バックネット裏からまた声が聞こえてきた。

しかしそれは、怒りにも叫びにも似た声だった。