ミスマッチ|リミット15話

 一奥(いちおく)が目にしたのは、一奥(いちおく)と同じ上橋中(じょうばしちゅう)の全中優勝メンバーたちだった。

 信じられないといった表情で、自然にまばたきが増える一奥(いちおく)。スタスタと歩いてきた梯(かけはし)高校の木村(きむら)監督は、一塁ベンチへ軽く頭を下げながら通りすぎた。

 しかし、かつての一奥(いちおく)の仲間たちは、一奥(いちおく)を睨みつけながら歩いていた。

「ちょっと待てよ!お前ら」

 我慢できなかった一奥(いちおく)は、三塁ベンチへと向かう梯(かけはし)メンバーの行く手を遮(さえぎ)った。

「どういうことだよ?お前ら、それぞれスカウトで違う高校へ行くって言ってたじゃねぇか?」

「どけ!一奥(いちおく)。防御率7点台のお前に、話す事は何もない」


「なっ……九条(くじょう)」

 キャプテンであり、一奥(いちおく)とバッテリーを組んでいた九条(くじょう)の別人のような態度に、一奥(いちおく)は戸惑った。

 皆のあまりに冷たい視線に、一奥(いちおく)はその場に呆然と立ち尽くすしかなかった。次々に一奥(いちおく)の横を無言で通りすぎる、かつての優勝メンバーたち。

 すると、最期に歩いてきた一奥(いちおく)の知らない少年が、「斉藤 一奥」と呟いて立ち止まった。

「お前、名京(めいきょう)高校一年の斜坂剛二(ななさかごうじ)を知ってるか?」

「斜坂(ななさか)……あぁ、一度会った……事はある」

 答えた一奥(いちおく)目は、うつろなままだった。

「なら、話は早い。俺はあいつと同じ中学でライバルだった松原(まつばら)という者だ。お前とは斜坂(あいつ)の代わりに全中で投げ合ったが、俺は今のチームメイトに打たれて負けた。その後、俺は周囲から斜坂(ななさか)なら勝っていたと何度も罵声を浴びたんだ」

 松原(まつばら)は、歯を食い縛りながらバットケースの取っ手をギュッと握った。

「そんな夏の終わりだ。全中を制した上橋(じょうばし)中のお前を除くメンバーが、新設校の野球部へ行くと知った。それも、斜坂(ななさか)が行く名京(めいきょう)の愛知と知った時には、運命すら感じた。なら、証明してやろうじゃないか!この梯(チーム)で斜坂(ななさか)のいる名京(めいきょう)高校に勝ち、斜坂(ななさか)でも全中の結果は同じだったと。そして、あの試合の上橋(じょうばし)中のピッチャーがお前ではなく俺だったなら、泥試合にはならなかったとな。まぁ、お前も元仲間の態度でわかっただろ?上橋(じょうばし)中に、お前はいらなかったんだよ!」

 話し終えた松原(まつばら)は、下を向く一奥(いちおく)の横を通りすぎた。一奥(いちおく)はそのまま、力なく一塁ベンチに戻った。

(なんなんだよ……くそっ)


 一奥(いちおく)は、チームの輪には加わらなかった。そして、誰とも目を合わす事なくベンチの隅に腰を下ろした。

 そんな一奥(いちおく)の姿を見ていた西島(せいとう)メンバーたちは、突然の出来事にざわついていた。一奥(いちおく)にはお構い無しに、顔色を変えない紀香(のりか)監督が仟(かしら)にメンバーを発表をさせた。

 仟(かしら)が先発メンバーを読み上げる。やはりそこに、一奥(いちおく)の名前はなかった。

「さぁ、初陣を勝利で飾るわよ!」

『はい!』

 檄を飛ばす紀香(のりか)監督だが、西島(せいとう)メンバーの反応は薄い。すでにチームは、試合前から出鼻を挫かれていた。

 
 これは、紀香(のりか)監督にとって全くの予想外だった。

(梯(かけはし)高校のメンバーが一奥(いちおく)の元チームメイトなのは、父から聞いてわかっていた。だけど、そんな因縁があったなんて聞いてない……)

 下を向く選手や、一奥(いちおく)を心配した目で見ている選手たちを目にした紀香(のりか)監督は、一奥(いちおく)から一番離れた左前のベンチに腰を下ろした。

(このままでは絶対に勝てない……でもどうすれば?)

 考えても答えは出ない。そして、時間も待ってはくれない。なにより紀香(のりか)監督は、この試合は絶対に負けられない。

 しかし、チームの雰囲気が紀香(のりか)監督の焦りを生み、状況は悪くなる一方だった。

 それは、試合前のノックで明らかになる。選手のリズムが悪く、エラーが目立っていた。

(ダメだわ。これは完全に私のミス。一奥(いちおく)が機能しないだけで、西島(ウチ)はここまで動けないチームだとは思わなかった)

 紀香(のりか)監督が、一塁ベンチの右隅に座る一奥(いちおく)を見る。一奥(いちおく)は、力なく座ったままだった。

(でも、あの状態の一奥(いちおく)を、どうすれば元に戻せるって言うの?)「……もーう!」

 カキーン!

 苛立ちながら打った紀香(のりか)監督のキャッチャーフライは、センターフライになってしまった。

 しかし、キャッチャーの遠矢(とうや)は捕れるはずもないボールを全力で追った。打球はセンターの定位置付近に落ち、遠矢(とうや)はダイビングした。当然だが、遠矢(とうや)は二塁ベースを越えた辺りが限界だった。

 すると遠矢(とうや)は、スッと立ち上がると全力でホームベースへ戻って座った。そして紀香(のりか)監督に、「もう一球お願いします!」と笑顔で言い放った。

「遠矢(とうや)……」

 あまりのテンションの違いに、呟いた紀香(のりか)監督はため息混じりに髪をかき上げる。その姿を見た遠矢(とうや)は、笑顔のまま顔を上げた。

「あなたたちに任せるわ!ですよね?監督。それなら、一奥(いちおく)をマウンドに立たせて下さい。お願いします」

 見上げる遠矢(とうや)の真っ直ぐな目に、紀香(のりか)監督は肩の力が抜けた。再びその視線は、一塁ベンチに座る一奥(いちおく)を捉えていた。

(絶対に負けられないと、私は気負い過ぎていたのね。相手は全中覇者と木村(きむら)監督。プレッシャーで、最初から自分を見失っていたんだわ。それを一奥(いちおく)のせいにするなんて……最低ね)

 トスされたボールを受け取った紀香(のりか)監督が、ボールをジッと見つめる。

(一奥(いちおく)をよく知るチームでも、必ず打たれるとは限らない。それは私が決める事ではなかった。そうよ、私がこのチームにしてあげる事は、いつも通り野球を楽しませてあげる事だけ……)

 紀香(のりか)監督がボールを上げた。

(感謝するわ……遠矢(とうや)。私は、私の信じた道を行く!)

 カキーン…

キャッチャーフライを打った紀香(のりか)監督は、微笑みながら一塁ベンチへ歩き出した。

「フフッ……好きにしなさい」

 パシッと音をたて、遠矢(とうや)がボールをミットに収めた。

『ありがとうございました』

 ノックを終えた選手たちが三塁ベンチに一礼すると、遠矢(とうや)は真っ先にベンチに座る一奥(いちおく)の下へ走った。

「一奥(いちおく)!鶴岡(つるおか)さんが一人投げたら、すぐに交代だ!……一奥(いちおく)?」

 一奥(いちおく)は無反応だった。遠矢(とうや)が思った以上に、一奥(いちおく)の状態は深刻だった。

 遠矢(とうや)が話しかけた時、一奥(いちおく)は中学時代の記憶を繰り返し繰り返し思い出していた。

(あれもこれも……全部嘘だったのかよ……)

 すると、戻ってきた杉浦(すぎうら)が遠矢(とうや)の左肩を掴んだ。

「どけ、遠矢(とうや)」

「杉浦(すぎうら)さん」

 脱け殻のような一奥(いちおく)の姿に、杉浦(すぎうら)は我慢の限界だった。

「おい!一奥(いちおく)。いつもの悪態はどうした!俺に噛みついてこい!いつもの牙をどこにしまいやがった!」

 杉浦(すぎうら)の怒鳴り声に、皆が注目する。すると一奥(いちおく)は、消えるような声で呟いた。

「知らねえよ……」

「なにぃ!」

 頭にきた杉浦(すぎうら)が、一奥(いちおく)の胸ぐらを掴む。そのまま一奥(いちおく)をベンチの外へ引っ張り出すと、グラウンドに放り投げた。背中から落ちた一奥(いちおく)は、体を起こして杉浦(すぎうら)を睨んだ。

「いってぇなぁ。何すんだよ!」

 叫んだ一奥(いちおく)の顔を見た杉浦(すぎうら)は、ニヤリと笑った。

「いいじゃねーか!一奥(いちおく)。やっとお前らしくなったようだな」

木村監督と梯メンバーの思い

 
 一塁ベンチの様子を見ていた三塁ベンチの木村(きむら)監督は、複雑な思いをしていた。

(あちらも、思わしくない状況ですな……)

 木村(きむら)監督が渋い顔をしていると、同じく一塁ベンチの様子を見ていた梯(かけはし)高校のメンバーたちの声が、木村(きむら)監督の耳に入った。

「やっぱりあいつは、試合では使えねぇ」

「あぁ。一奥(いちおく)がピッチャーじゃなければ、俺たちはもっと楽に優勝できたんだからな」

「俺たちのバッティングをバカにした結果が、今のアイツの姿だ。だがそれは、全中の優勝で証明した。俺たちに打てないピッチャーはいなかったんだ」

「その通りだ。俺たちが打てなかったのは、練習での一奥(いちおく)の球だけだった。なのにあいつは、全中を打撃で制した俺たち以外の下手くそに打たれまくったんだ」

「試合で力が出せないビビりなんだよ、一奥(いちおく)は。なのに、自分の力で優勝した気になりやがって……許せねぇ」

「まぁいいだろ?それももう終わった事だ。あの勘違いバカにさ、この試合でわからせてやればいいだろ」

「当たり前だ!ボコボコにしてやるさ」

「あいつは所詮、防御率7点台のピッチャーだ。もう会う事はないと思っていたんだがな……。俺たちの汚名、泥試合の上橋(じょうばし)返上のいい機会だ。誰のせいでこんな呼び名がついたのか、わからせてやればいい」

 梯(かけはし)メンバーの笑い声が響く中、木村(きむら)監督はこの試合を見ているであろう西島(にしじま)理事長に申し訳なく思っていた。

 あの屋上での会話の翌日、練習試合の事を選手に告げた瞬間から、今の状況に変わってしまった。

 斉藤一奥(さいとういちおく)の名が、木村(きむら)監督の計算外の日々を生んでいたのだ。

(私が限界を超える姿を、西島(にしじま)君に見せたかった。この子たちとなら出来ると、もう一度思い出せると、信じていたのですがなぁ……)

 立ち上がった木村(きむら)監督は、選手を集合させた。

「この試合は、君たちの思うようにやりなさい」

『はい!』


 どうすることもできない木村(きむら)監督は、静かにベンチの奥へと座った。

 そして杉浦(すぎうら)と一奥(いちおく)が平行線のまま、審判から試合開始の合図が出されてしまった。

「両チーム、集合!」